長崎市の福田町の手前に小浦町がある。
 
商業集合施設(ナフコやダイソーなど)がある場所で、街は細長く山がほとんどだ。
 
小さな浦だから、小浦町なのだろう。
 

小浦町

 
その山に近い場所に大山祇神社がある。
 

大山祇神社

大山祇神社

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、愛媛県今治市の山祇神社(大山祇神社)が総本社だ。
 
主祭神の大山祇神は「三島大明神」とも称され、当社から勧請したとする三島神社は四国を中心に新潟県や北海道まで分布する。
 
山の神・海の神・戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めたという。
 
祭神は大山積神(おおやまづみのかみ)で「三島大明神」ともいう。
 

大山祇神社

大山祇は伊弉諾尊と伊弉冉尊の間の子で、磐長姫命と木花開耶姫命(瓊瓊杵尊の妃)の父である。
 
神話では降臨した、瓊瓊杵尊が木花開耶姫命に求婚したとある。
 

木花開耶姫命

父の大山津見神はそれを喜んで、姉の石長比売と共に差し出したが、邇邇芸命は醜い石長比売を送り返し、美しい木花之佐久夜毘売とだけ結婚した。
 

磐長姫

大山津見神はこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのは石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇芸命)の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。
 
木花之佐久夜毘売だけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げた。それでその子孫の天皇の寿命も神々ほどは長くないのである。
 
これを読めば、瓊瓊杵尊をひどく批判している。
 
天皇家の寿命を予言するほど、思ったより強力な神様なのだ。
 
また、草と野の神である鹿屋野比売神(野椎神)の間に、霧や闇戸(洞穴か)の神様なども生んでいる。
 
やはり、山の神様なのである。長崎では茂木の奥にある北浦町にも、大山祇神社がある。ここも山が深い。
 

繁栄した福田氏

小浦町だが、福田町の隣である。
 
福田町には、1180年後白河法皇家臣の平兼盛(平包守)が九州の肥前国老手・手隈の定使職に任ぜられて下向した。この平兼盛(平包守)が土着し、その地を福田と名付け、自身も福田を名字としたのが、九州平姓福田氏の始まりである。この福田氏は、大いに繁栄し城もある。
 

福田城跡

その隣にある小浦町だが、当然福田氏の所領だったのだろう。
 
大山祇は国津神という事なので、福田氏がやってくる以前の土着民や、この辺りを縄張りにしている山の民か山伏たちに敬意を表して、建てられたのではないかと思う。