小江の鹿島神社

福田から山道を走ると小江港につく。
 
 
狭い道を通ると、家並みの間に、この神社がとつぜん現れる。
 

鹿島神社

写真を見ればわかるが、大きい鳥居と新しい社殿。
 
そして境内はがらんどうに近い。境内は駐車場にしてしまったので、こうなったかもしれないが、見た目は異様である。
 

鹿島神社

鳥居を見れば立派で、昔はたぶん、霊的な趣があっただろうと推測されるが、残念である。
 

鹿島神社

 
敷地内の隅に、立派な半鐘が残っている。これもむき出しに近い雰囲気があり寂しい。
 

鹿島神社

鹿島(かしま)神社は、「鹿島」を社名に持ち建御雷神(たけみかづちのかみ)を祭神とする神社である。
 
鹿島神社は東北地方・関東地方を中心として全国に約600社あり、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮を総本社とする。
 
小江の鹿島神社もその一つだろう。
 
祭神の建御雷神(たけみかづちのかみ)は、文字の通り、雷神、かつ剣の神とされる。
 
神武東征の時、熊野で手こずっていた神武天皇を、建御雷神が助けたとあるほど、武勇に優れていた。
 

建御雷神

剣の道

剣術は戦いのときに使うもので、兵法三大源流と呼ばれのは、陰流、神道流、念流の3つの剣術流儀を指す総称である。
 
私たちがよく知っている柳生新陰流も、この陰流の流れをくむ。
 
流派についている「陰」の意味は,陰は心であるとか、かくすであるとか諸説あるが、外に現れない心の状態といったところであろう。
 
香取神社、鹿島神社の地名がよく出てくるが、この二つの神社は古来深い関係にあり、「鹿島・香取」と並び称される一対の存在にある。二つの神社は朝廷から軍神として信仰されたことにある。
 
この神社から生まれた剣を、神道流といい、鹿島流には、あの塚原卜伝がいる。
 
また、天然理心流もあり、この剣を使った剣豪は、新選組の近藤勇である。
 

NHK BS 『塚原卜伝』

小江

町名の由来は、わからないが、小さな入り江なので小江となったと思う。
 
古くは福田村の小江郷だったので、福田の一部である。福田は武家福田氏の所領であり、当然小江も、福田氏管轄だろう。
 
小江の山手の方には、いま開発されて住宅地になっている小江原(こえばる)がある。
 

原の読み方

原の読み方に「はら」と「ばる」が二つあり、長崎では「はら」が使われる。
 
島原、本原も「はら」と読む。小江原とか世知原(佐世保)は「ばる」である。
 
この事に関しては、研究している方がいる。
 
「~原」を「ばる」「はる」と読む地名
https://www.shochian.com/harubaru.htm
 
 
このページを読むと、「ばる」と読む地域は、ほとんどが九州、沖縄で、福岡県 27箇所、大分県 24箇所、宮崎県 14箇所、熊本県 11箇所、鹿児島県 9箇所とある。
 
これに関して、ありもしない古代朝鮮語などという、不思議な解説があるが、単純に九州地方の方言といってもいいだろう。
 
有名なのは、沖縄のヤンバルクイナ(鳥)とか、西郷隆盛の田原坂だろう。
 
となれば、小江の地に、いろんな地域の人々が流れ込んだ可能性がある。
 
小江には殿様はいないが、隣には福田氏がいる。
 
福田氏の始まりは平安時代の京都の平兼盛だが、この長崎の地にて土着して発展した。
 
元寇にも在地勢力として福田兼重・兼光親子が参加し、南北朝の騒乱にも参加、南蛮貿易の権益を巡っては松浦氏の襲撃を受けるが、忠兼はこれを撃退となかなかの武勇伝である。
 
元寇は福岡で、その際福岡の人間たちがついてきたのかもしれないし、福田氏の一部は、熊本の菊池家の配下になったものもいるので、交流は深いのだろう。
 
そうなれば、小江に剣術の神様、鹿島神社があるのも、小江の山手を福岡風に小江原(こえばる)と呼ぶのも、わかるような気がする。
 
昔は、案外、栄えた村だったんだなと思う。
 

鹿島神社

鹿島神社

鹿島神社

鹿島神社

鹿島神社

 

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