稲佐国際墓地のツツジ

稲佐国際墓地のツツジ

長崎だけではなく、この季節にはツツジの花が目を楽しませてくれる。
 
サクラが散り始めてから咲くので、花のリレーを見るようで、見事なツツジの群生を見ると、写真を撮りたくなる。
 

ツツジ(躑躅)には毒がある

花を上手に採ると花片の下から蜜を吸うことができ第二次世界大戦中は当時の子供たちの数少ない甘みとなっていたが、多くの種に致死性になりうる毒成分のグラヤノトキシンが含まれ、特に多く含むレンゲツツジは庭木として利用されることもあるので事故を避けるために注意しなければならない。 ウィキペディア
 
 
この毒、ツツジ科の植物の全草に含まれている。
 
これは、ツツジという漢字にも関係している。
 
すごく難しい字で、「躑躅」とかいてツツジと読む。PCだから勝手に文字が出てくるのだが、手書きで書けと言われたら書けないくらい、難しい。
 
漢字の「躑躅」は漢名からで、「てきちょく」とも読む。
 
「躑躅(てきちょく)」には「行っては止まる」「躊躇」という意味があり、見る人の足を引き止める美しさから、この漢字が使われたといわれる。
 
本来は「羊躑躅」で、葉を食べたヒツジが躑躅して死ぬことからという説もある。言語由来辞典
 
見る人の足を引き止める美しさというのは、実感できるが、羊が足をばたつかせるという説には驚くだけである。
 
まあ、実際に毒があるので、その事を念頭に花をめでたい。
 

なぜ毒を持つのか

生物の中には毒をもつものが多い。
 
植物の場合はヘビやハチなどの能動的な攻撃と違い、食べられないようにするためなどの受身的な性格が強い。
 
16世紀に活動した医師パラケルススは、「すべての物質は有害である。有害でない物質はなく、用量に依って毒であるか薬であるかが決まる」と説いている。ウィキペディア
 
なるほどと思う。
 
砂糖や塩も大量に食べれば、毒になるからだ。
 
お互いを食らいあって成り立つ地球の生物だから、「毒」というものが出来たのだろう。
 
そして、食物連鎖の頂点に立ってしまった人間には、身体の毒はないが、お互いをけん制するための精神毒はあるようだ。
 
毒は、ある勢力が他の勢力に対して、一方的な支配を避けるために作られてきた、自然の知恵なのだろう。
 
花のほとんどに毒があり、チューリップ、アジサイ、アヤメにも毒がある。
 
この毒の不思議なところは、個体の命を守るために存在しているのではないという事である。
 
食べてみて初めて毒とわかる。
 
つまり、個体が持つ毒は、その個体を守るためではなく、その種やグループという団体を守るためにあるという事である。
 
という事は、生物はグループという単位で進化してきたのだという証である。
 
哺乳類は、食物連鎖の為か、身体に毒をもつものは少ない。
 
しかし人類はその食物連鎖を壊し続けている。現在も食べ続けている豚や鳥、牛なども長い時間が経てば、身体に毒を持つようになるのかもしれないと思う。
 
今は飽食の時代であるが、人類が食物連鎖の頂点に立った時間は、地球生物の歴史からしてみれば、ほんのわずかな時間にしか過ぎないのだ。
 
こんな事をうだうだ考えているのは、酒の毒が回り始めている証拠である。
 

ウィルス

ヒト免疫不全ウイルス

いま猛威を振るっている武漢コロナというウィルスも毒だ。
 
このウィルスって奴は恐ろしい毒である。
 
生き物でもないくせに、生き延びようとする。そして取りついた動物に大きなダメージを与え続けていく。
 
この邪悪な敵に立ち向かうのは、人間の免疫という防御本能だけだという。
 
ウィルスは人間にとってどんな意味があるのかという問いに、科学者たちは答えてくれる。
 
2000年、今まで病原体の塊と思われていたウイルスが、実は人の胎児を守っていることが明らかにされ、人びとに衝撃を与えた。
ウイルスと地球生命 山内一也 / 岩波書店
https://www.kinokuniya.co.jp/c/20120711102028.html
 
われわれの根本であるヒトゲノム(人間の遺伝情報)の45%が、「ウイルス」や「ウイルスのようなもの」で構成されていることが示されている。「ウイルスがいたからこそ人間はここまで進化できた」ウイルスには他の病原体の感染をブロックしてくれるような存在意義もある
中屋敷均教授 https://emira-t.jp/special/7814/
 
うーん
 
今の現状を思えば、ウィルスを擁護する気にもならないが、一歩突っ込んで考えれば、毒だけの存在ではないらしい。
 
ツツジにも毒がある。だが、その毒のレベルはけた違いに小さい。
 
さて毒とは何だろうか。
 
無理に答えを出す必要はないのかもしれないなとも思う。
 
ただ一つ感じるのは、地球は人間だけのものではないという事だ。
 
人間は地球の王者ではない。
 
回りにある毒の存在がそれを教えてくれるような気がする。
 
何事にも謙虚さが必要という事だろうか。
 

毒という漢字

毒という漢字を見れば、母という文字が入っている。
 
いろんな説があるが、メインは、多くの髪飾りを重ねた(美辞麗句、言葉巧みな)母(婦人)という意味が最も多い。
 
もう一つは、毒の上部分は「てつ」と言い、草を意味し、下の「母」は「生む、産む」の意味で使われ、「毒」は元々「(漢方薬の)精力剤」の意味だったという説もある。
 

毒という文字

さて、どんな風に考えればいいのだろうか。
 
日本の母は、尊敬の対象で献身的、かつ優しいというのが一般的な解釈だある。
 
そんな母が、着飾り、社交的になっていく姿はやはり毒なのだろう。
 
日本の歴史の中にも、毒母は登場する。
 
平安時代初期の「薬子の変」である。
 

薬子の変

藤原薬子は長女を平城天皇の皇太子に嫁がせるが、母である自分も皇太子と関係を持ってしまうという、下世話に言えば親子どんぶりっていう状況にしてしまった毒婦である。(現在は平城太上天皇の変といい、薬子が誘ったのではなく天皇が誘ったという解釈になっている)
 
応仁の乱の日野富子も見方によってはそうだろう。秀吉の正妻、淀殿もそうかもしれない。
 
色んな解釈があるが、母が着飾るとロクなことはないようだ。
 
現在も、毒親という存在がクローズアップされている。
 
子育てという「対象愛」よりも「自己愛」を選ぶ風潮があると評論家の方々は述べているが、この議論もまた難しい。

様々な毒の話をしたが、生物の毒は必要に迫られて生まれたものである。
 
しかし、現在の武漢ウィルスは人工的に作られたとする説が発表されている。
 
誰がその毒を必要としたのだろうか。
 
おぞましい話である。
 

コロナウイルスのイメージ図