人間がいいなと思う状態は、自然の生き物にとって最悪の状態だという。
 
狭い水槽にたくさんの魚を入れ鑑賞すること自体、魚たちにしてみれば最悪なのだろう。
 
そんな妄想の中、それでも水槽を眺めるのは癒しが欲しいからである。濾過機から流れる水音や、ブクブクから発生する気泡を眺めていると、いろんな事を忘れる時間が生まれてくるのだ。
 
海と山とどちらが好きかと言えば、断然、海である。
 
父も、そのまた父も船乗りだった。その血が海を近しいものと認識させているのだと、勝手に解釈している。
 
今回の文章のカテゴリーは終活である。
 
自分の人生の終焉に向かって生きているのだが、その時間をどう使おうかと思っている。
 
自分の子供たちも無事に社会に巣立った今、自分がどうするのかを観察している時期があった。
 
自分が自分を見つめる。
 
しかし、特別なことはないことに気づいた。
 
過去は過去。いいも悪いも過ぎ去った時間は、友人や子供たちと酒を飲むときの肴になるだけだ。
 
そして今は、昔好きだった事を思い出したように始めている。
 
そんな思いの中の、アクアリウムである。
 
死んでいく魚たちを、黙ってみているわけにはいかないのだ。
 
昔、魚たちを飼っていた時、こんな事は一度もなかったという思いだけが強かった。
 
だが、昔はもっと注意深く接していたのかもしれないと思いなおす。
 
そこで、ネットに流れている飼育方法を頼りに、水槽を再生させることにした。
 

水の濁り

これは昔もあった。まずは水替えだ。とりあえず1/3くらい入れ替える。
 
この時点で、50匹の魚たちは半分くらいになった。
 
水質改善の薬品も投入。ただ、バクテリアが繁殖するには時間がかかる。これはしょうがない。
 

薬品

 

手元にあったのは、5年前の金魚の餌だった。しかし考えてみれば、見た目は変わらないが品質は当然変化しているだろう。
 
なので、昔の餌はすべて捨て、新規に小粒の餌を飼う。
 
水槽に魚を入れた後、何気なく餌をあげていた。これもよくなかった。まずは絶食させなくては。
 
金魚やメダカも、場所が変わるとストレスがすごい。
 
まずは新しい環境に適応してもらうことが第一である。
 
その為には、魚自身の自然治癒力に頼るほかない。満腹になると消化のほうに体力を奪われ、体が回復しにくくなるのだ。
 
これは人間も同じだろう。
 
今回のコロナ禍であまり外に出なかったので、運動不足になった。なので、食事の回数と量を減らし、体調を考えながら暮らしている。
 
黙っていても腹が減っていた若い頃とは違うのである。
 
たまには絶食もする。飯を2、3日食べなくても、水だけ飲んでりゃ死にやしない。多分魚たちもそうだろうと、勝手に思っている。
 

えさ

 

魚たちの数

調子に乗って、多くの魚たちを買ったのも反省である。
 
魚は1リットルに1匹が適当だと書いていた。
 
私の水槽は、幅60センチ、奥行30センチである。
 
水をいっぱいに張れば、60×30×25~30=およそ50リットル ということになる。
 
なので、小さな魚たちなら50匹ぐらいは大丈夫のはずなのだが、実際はそうではないのだろう。
 
水槽の中にあんまり水草などを入れないので、数が少ないと貧相に見えてしまう。
 
なので、水槽の中のレイアウトを考え、少ない魚たちでも大丈夫のようにしなければと方向転換。
 
こんな時、ネットは便利である。
 
様々な水槽レイアウトが大量に見ることができる。
 
私は水草がたっぷりあり、山水画のようなレイアウトが気に入った。
 
山に行き、適当な石を拾いに行く。そして土代わりにソイル(栄養を含んだ土を焼き固めたもの)と水草の
マツモ、アナカリス他を買う。
 
そんなことをやっている内にも、金魚やメダカたちは毎日何匹か死んでいっている。
 

塩浴

金魚をよく見ると、体にできものが出来ているものが何匹かいた。白点病である。
 
白点病とは原生動物の白点虫(イクチオイフリウス)の寄生虫病である。
 
そこで、底でじっとしている金魚たちに塩浴をさせる。
 
昔からやっている方法で、水1リットルに対し、0.5%の塩を溶かしたバケツに魚を移動させる。
 
0.5%の塩水がなぜ金魚にいいかというと、金魚の体内塩分濃度が約0.6%くらいなので、浸透圧が同じくらいになり、体内の水分の移動は無なく、金魚の体力を消費を抑えられる。
 
また、白点病など塩分に弱い繊毛虫を駆除ができるという理由からである。
 
ただ、これもまた自然治癒力に頼るやり方なので、絶対ではない。
 
1日、様子を見ていたが、白点病がひどい金魚たちはやはり死んでいってしまった。
 
もっと早めにやればと思ったのだが、後の祭りだ。
 
やっと水槽のレイアウトを終えて、様子を見ていたが、それでも魚たちは死んでいく。
 
最初の環境が悪すぎたのだと思う。
 
ついに金魚3匹にメダカ2匹になってしまった。
 
こうなると寂しいものである。
 
二日後、こらえきれずに、メダカを10匹買ってきてしまった。
 
今回は、買ってきた袋を水槽に浮かべ、2時間ほど水温を合わせ、その後水槽の水を袋の中に少しづつ時間をかけて、水合わせをした。
 

水温合わせ

何事も時間をかけないとうまくいかないというのが教訓である。
 
現在は、星になる魚たちは表れていない。少し安心している。
 
おかげで、朝はメダカたちと残った金魚の水槽の前で、新聞を読んだり、一服する時間を持てるようになった。
 

現在の水槽

 
現在もコロナ禍で自粛ムードで、みんなおとなしくしているようだが、ウィルスという環境が、多くの人を死なせたという事を忘れてはいけない。
 
やはり環境は、生き物にとって一番重要なのだと実感する。
 
どおって事のない自宅での水槽事件の顛末だが、こんな些細なことの積み重ねこそ、終活なのかもしれないと思う。
 
余生というのは、結局死ぬまでの暇つぶしだ。
 
面白きことのなき世を面白く、住みなすものは心なりけり
 
幕末の志士、高杉晋作の辞世の言葉である。
 
いいんじゃないかい。