長崎の丸尾町から、水の浦、飽の浦、岩瀬道、立神町の海岸は、三菱系列の工場が立ち並んでいる、三菱王国である。
 
そして世界遺産のある、占勝閣(せんしょうかく)、第三船渠(せんきょ)の山手のほうに、この八幡神社がある。
 

占勝閣

占勝閣・・1903年長崎造船所長の荘田平五郎の邸宅として着工、翌年に完成。「風光景勝を占める」という意味で占勝閣と命名されている。
第三船渠・・1905年に完成した、当時としては東洋最大のドック。
 
三菱の敷地になっている海岸側は、江戸時代、奇岩もおおく、八幡神社が建てられた場所は、身投げ岩の丘と書かれている。
 

身投げ岩

記念碑のタイトルは、御奉還百年奉祝御大祭由緒と書かれている。
 

記念碑

さらに320年前天和元年(1681年)8月に勧請に係り岩瀬洞台場の遺跡である身投げの岬丘上にあったが、三菱の工事のため、今の地に移されたとある。
 
天和元年はあの生類憐みの令の徳川綱吉の時代であり、長崎は日本唯一の貿易港として、活発に動いている時期でもある。
 
その時代に身投げの岬(三投石)丘上にあったという。
 
江戸時代の絵に、その風景が残っているが、高い一本の奇岩がありそれを「身投げ岩」と呼んでいたという。
 
絵は強調されていると思うが、この岩の上に元はあったのだろう。
 
記念碑の御奉還百年とは、明治維新の事だ。
 
日本が明治の元号になったのは、1868年10月23日である。
 
それから100年後(1968年、昭和43年)、日本では明治百年記念式典が盛大に行われた。
 
この記念式典を祝ってという事だと思う。
 

景勝地から工場地帯へ

まず、現在は岩瀬道と「道」の字を使用しているが、昔は「洞」である。
 
本館の南側(第2ドック)は、その岩の背中側ということで岩背洞といい、のちに岩瀬道となります。(仮称)山口広助のブログより
 
第2ドッグは立神のほうにあり、今はすべて周りは埋め立てられていて、地図からはわからない。
 
立神ガントリークレーンのある第2ドッグは、戦時中に戦艦「武蔵」が建造された場所という。
 

日本海軍 戦艦 武蔵

奇岩だらけの海岸線を拡張工事していった、三菱も大したものだが、その為に当時の景観は、見事になくなっている。
 

一の鳥居

神社の入り口は細い階段で分かりにくいが、その参道に大きな一の鳥居が立っている。
 
鳥居につけられている石の額には、正八幡宮と書かれている。
 

鳥居

祭神は應神天皇(応神天皇)で、神功皇后の三韓征伐の後に誕生した天皇である。
 
応神天皇は八幡神と同一視されていて、昔は八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と呼ばれていた天皇である。
 
そして神功皇后の伝説はこの場所にも残っていたのである。
 

風光景勝

八幡神社より

三菱の職工さんがよく花見をされていたと(仮称)山口広助のブログでも書かれている通り景色がいい。
 
まさに風光景勝を占めるの言葉通りである。
 

岩瀬道八幡神社 参道

八幡神社

八幡神社

 

神社の作りはそっけないが、社殿横には、コンクリートのかけらが散乱しており、隅に置かれた石燈籠もあるので、昔はお寺も併設していたのかもしれない。
 

八幡神社

八幡神社

八幡神社

見かけは廃れているようだが、社殿内はちゃんと祀られており、この神社を支える人たちの存在がわかる。
 
眼下の繁栄している三菱を見守る神社なのだろう。
 

三菱