キムチの元祖争い 中国vs韓国

最近の話題で、にやりとしたのが元祖論争だ。

中国vs韓国 「キムチ宗主国」をめぐって激辛大論争
https://news.livedoor.com/article/detail/19350182/

11月28日、中国の新聞『環球時報』が、「中国のキムチ製造方法が11月24日、国際標準化機構(ISO)の承認を受けて、『国際標準』になった」と報道。併せて、2017年の時点で韓国はキムチの35%を輸入に頼っており、その99%が「中国産」。「もはや『キムチ宗主国』の名は有名無実化している」と伝えた。

これは中国側の言い分。

それに対して韓国側は

11月30日、韓国政府の農林水産食品部が声明を出し、「韓国のキムチは既に2001年に国際食品規格委員会(CODEX)の国際標準として登録されている」と反論。

〈キムチが免疫力を高めるという話が国際的に広まったから、(中国が)こっそり奪おうとしている〉
〈中国はチマチョゴリもキムチも自分のものと言い張っていて本当にあきれる〉などの書き込み。

そしてアメリカを巻き込んでの展開。

ハリス米大使、韓中キムチ戦争に参戦…料理家の一番弟子になりキムチ漬け学ぶ朝鮮日報日本語版
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6379005

まあどうでもいい話題なのだが、気になった所があったので書いている。

30年ほど前に韓国のプサン空港に降りたことがある。

ヨーロッパ旅行の際の事でプサンからシベリアを渡ってパリに行く飛行機に乗り換えるためである。

その時、びっくりしたのが、飛行機のタラップを降りたとたん、キムチの匂いがプンとした事だ。

「さすがは韓国」と妙に感心した事を覚えている。

キムチ

ペチュギムチ(白菜キムチ) https://chefgohan.gnavi.co.jp/detail/4783/

キムチは、白菜などの野菜と、塩・唐辛子、魚介塩辛、ニンニクなどを主に使用した漬物である。

16世紀末以降に日本から伝来した唐辛子によって、現在よく見られる赤いキムチが生まれた。

かつては朝鮮漬けと呼ばれていた。中国では中国起源の韓国泡菜(韓式泡菜)と呼ばれ、中韓で起源論争が起きている。ウィキペディア

唐辛子

さてここで書かれている「16世紀末以降に日本から伝来した唐辛子」だが、これは秀吉の朝鮮出兵の時である。

1943年に発行された「故事通」という韓国歴史を記す書物に、ヨーロッパの唐辛子がタバコとともに文禄慶長の役の際に日本軍が持ってきたという内容が記載されている。

また韓国で初めての百科事典にも「“倭芥子(唐辛子の別名)”の“倭”から日本から唐辛子が入ってきたといえる」とする記載がある。

 

唐辛子は中南米が原産だ。なのでメキシコでの歴史は紀元前6000年に遡るほど非常に古い。

そして世界各国へ広がるのはコロンブスがアメリカにやって来た15世紀になってからである。

唐辛子という漢字に唐の字が入っているが、中国から伝わったものではなく、この「唐」は漠然と「外国」を指す語とされている。なので南蛮辛子(なんばんがらし)と呼ぶこともある。

日本への伝来として、1542年にポルトガル人宣教師が豊後国の大友宗麟に献上したとの記録がある。

日本に伝来した初期は食用として用いられず、観賞用や毒薬、足袋のつま先に入れて霜焼け止めとして用いられたとある。

唐辛子 画像元:コトバンク

白菜

白菜の原産地は地中海沿岸地方だが、紀元前の中国へ伝播した後に、11世紀頃今のような結球型となった。

今の姿の白菜は、明治初期に結球性ハクサイが日本へ移入され、栽培が始まったとされる。

なので江戸時代以前は、白菜はなかったのである。

翠玉白菜(すいぎょくはくさい) 国立故宮博物院、台北市

漬物

漬物の歴史は不明である。なぜなら海は塩水で、原始時代からこの塩を利用して、食物を保存してきたからである。

歴史の中でいえば、文字を早くから使っていた中国が一番古い記載があり、日本は万葉集に蟹の漬物の事が詠まれている。

ヨーロッパでは漬け物のことをピクルスと言う。いわゆる酢漬けだが、ヨーロッパ人は酸味が好きなようで、その起源は4000年以上昔から存在していたといわれている。もちろんそれ以外にも塩漬けはあった。

という事で、世界中が自発的に、その土地にあった漬物を作っていたという事である。

以上の事を総合すれば、私たちが食べている白菜キムチは、かなり新しい時代に発明されたという事だ。

1975年に桃屋から発売された「桃屋 キムチの素」が人気を呼び日本でもブームになった事がある。

キムチが李氏朝鮮時代からのソウルフードだった事は事実だし、漬物の記録では断然四川省だろう。

ニュースになった元祖争いは、中国による四川省の四川式ピクルスである泡菜(パォツァイ)を世界に売り込むための宣伝のようである。

しかし四川省の地域が中国になったのは、前316年に秦によってである。

その前には3,000年前に存在した仮面王国(三星堆遺跡)があり、省西部、南部にはチベット族、イ族、羌族など少数民族が多い謎の地域だ。なので、中国人(漢人)の国とはいいがたいのである。

なんでも元祖と言いたがる韓国と、言い出したら聞かない現在の中華人民共和国だ。

これまでの歴史では、ずっと中国が韓国の宗主国だった。韓国側がどう反撃するのか、それともしないのかが気になる。

まあ、それもどうでもいいのだが。

 

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