長崎の歴史
中国と日本 (2) 朝鮮半島軍とモンゴル軍の襲来

前回は、894年菅原道真が遣唐使を廃止したところで終わった。   中国大陸で興った隋と唐は、大きな国であった。隋は分裂していた中国を300年ぶり統一したが、その命は短く約37年後に滅亡し、唐にとってかわられる。滅亡といっ […]

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長崎の歴史
中国と日本(1) 近くて大きくて怖い国

2020年1月24日(金)からランタンフェスが始まった。2月9日(日)までの2週間だ。   1994年に始まったので、24年目になる。最初の年に見に行ったことを思い出す。湊公園でこじんまりとランタンを展示していただけだっ […]

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西の窓から
子供たちの肘張りお辞儀が気になる

発表会では、演奏の前にお辞儀をする。 そのお辞儀の話である。 すべての子供たちではないが、おへその上に手を当てて、肘を張ってお辞儀をする子供たちがいる。 長い間、子供たちを見ているが、これほど肘を張ってお辞儀をする姿は、 […]

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長崎の神社
神の島の古名は「池の岬」 池之神社と水神様

 祭神は神功皇后(息長帯姫大神おきながたらしひめのみこと)である。しかしこの祭神は、後年の神功皇后伝説によって、祀られていると思う。 本当は誰を祀っていたのだろうか。 由来書が拝殿にプリントされて張り出されていた。 神 […]

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長崎の歴史
長崎の要塞岬 誕生

長崎はイエズス会によって小ローマになったという記述がある。   実際どういう風に見えたのだろうか。   大村純友と有馬氏 スペイン側に加担し、キリスト教を保護する形で、密接な関係を築いていた、大村純友だったが、彼一人の采 […]

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長崎の歴史
長崎の岬は墓地だった

長崎港内の岬の話である。 長崎市のパンフレットでは、「長崎は寒村だった」としつこく書いている。 そして、何もない岬に港を作り、長崎港の大本を作ったとある。本当に長崎の岬は寒村だったのだろうか。 港市長崎の成立に関する研究 […]

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長崎の神社
神仏混合の霊場 秋葉大権現

本河内高部ダムの傍に、妙相禅寺があり、その裏山に戸隠権現の鳥居があり、川の上流の小さな滝に、仁王様が祀られている。   戸隠権現の鳥居の上層部が、秋葉大権現の神域といっていいだろう。   ここには鳥居もあるが、弘法大師の […]

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長崎の神社
烽火山登り口の戸隠権現

妙相禅寺の裏手の山道と石段を上がると、左手にある。   石段の途中には地蔵尊の祠があり、この道には宗教のにおいがある。   石ではなく鉄製の鳥居が3つあり、体裁は何とか保てているが、拝殿は朽ち果てる寸前であり、残念である […]

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長崎の神社
紅葉スポット 妙相禅寺

初めての仏寺紹介である。   日本では仏教が日本に入ってきた時から、神仏習合が行われていたので、神社も仏寺も、日本人の祈りの場になっており、極端な区別をしないほうが、より深い理解が得られると思う。   しかし、仏寺は江戸 […]

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長崎の神社
日見峠の入り口 松島神社

石の鳥居には松嶋神社とかかれ、拝殿の上には松嶋稲荷神社と書かれている。   石の鳥居には天保(1831年から1845年)の年号が刻まれているので、本当は松嶋神社が正解なんだろう。     立派な神社なので、ネットに詳しい […]

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長崎の神社
本河内の水神神社

立派な鳥居があり、社殿もきれいな神社である。   由緒には、寛永に出来大工町に水神を建立したのが始まりであると書かれている。   寛永といえば、徳川家光の治世である。その後、炉粕町に移転、さらに銭座川に移転し、大正時代に […]

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長崎の神社
本河内高部ダムの山大神

この祠は、本河内高部ダムの脇の通りにある。   山大神と立派な石に大きく彫られているので、信仰はあるのだと思われるが、祠の中には、名の前の書いていない社があり、どんな神様なのか見当がつかない。     左には水神と書かれ […]

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長崎の神社
本河内の白髭大明神

烽火山の麓、本河内水源地のそばに、白髭大明神がある。   本河内水源地 本河内高部ダムの工事は、明治22年(1889)に着工、明治24年(1891)に完成したダム式としては日本初の上水道。このダムの水底には「幻の石橋」が […]

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