延命寺 稲妻神社 神仏習合
真言宗延命寺は寺町にある。寺町通りの料亭一力の前が門になり、歴史あるお寺である。
この神社は延命寺の中にある。
延命寺ができたのは1616年。境内にある稲妻神社はおそらく、それ以前からこの地にあったのではないかと思う。
HPナガジン「延命寺に行ってみた」にインタビュー記事があった。
延命寺境内にあります「稲妻(稲荷)大明神」に関しては、いつどのような経緯で祀られたのかについて、まだ何も分かっていません。
鳥居の神額には稲妻大明神とある。この鳥居が作られたのが昭和2年と彫られている。
小さな古い祠で、撮影の時その中で猫が眠っていた。
神殿の中は石の祠である。お寺の中にある神社なので、りんとロウソク立てがおいている。
祠の台座の下に石版が有り、文字が彫られているがよく読めない。どうもこの祠を作った人のことが記されているようなのだが、詳細は不明である。
広助の『丸山歴史散歩』HPに経緯が載っている。
稲妻稲荷社は明和2年(1765)延命寺守護としてに祀られたものでしたが、明治維新を受け明治4年(1871)金比羅神社に移されます。しかし明治21年(1888)有志によって再び延命寺内にお祀りされます。
これによると稲妻稲荷神社は1765年に祀られ、明治維新の神仏分離で金比羅神社に移動、その後有志によって再び延命寺内に祀られる。
思えばそれほど信仰のある稲妻稲荷神社とは誰を祀っているのか。それも不明だ。
そこで推理する。
稲妻なので雷神だ。
雷神は民間信仰か神道の神様で、尾形光琳の雷神図がイメージにある。
古事記では、死んで黄泉国に行ったイザナミの体に、頭に大雷神、胸に火雷神、腹に黒雷神、女陰に咲(裂)雷神、左手に若雷神、右手に土雷神、左足に鳴雷神、右足に伏雷神の8柱の雷神(火雷大神)が生じていたとある。
約束を破った夫イザナギを、8柱の雷神に黄泉の軍勢を率いて追わせたとある。
恐ろしい話だ。古事記では死者の軍を率いる神が雷神なのである。
それ以外では、菅原道真は死して天神(雷の神)になったと伝えられている。
有名な話に、雷さまから逃れるための方法で桑原(くわばら:菅原道真の亡霊が雷さまとなり、都に被害をもたらしたが、道真の領地の桑原には雷が落ちなかったと言う伝承から由来)と唱えるとある。
民間の方は、やや怖さが薄れているようだ。
いずれにしてもパワー絶大の神様であり、その神様を祀ることで守護をお願いしていたようだ。
現在はここまでしかわからないが、神と仏が同居している神仏習合の典型である。
境内には神社のように見えるお堂があった。屋根を見れば銅ぶきで左右の屋根と明らかに違う。
もしかしたら、ここも元は神社だったのかもしれない。