多良見 阿蘇神社

多良見 阿蘇神社

多良見 阿蘇神社

多良見 阿蘇神社

多良見 阿蘇神社

多良見 阿蘇神社 拝殿

諫早市多良見町化屋861。大きい神社だ。

境内も広く、社殿もしっかりしている。

祭神は健磐龍命(タケイワタツノミコト)、神武天皇の皇孫子、神八耳命の皇子とある。

由緒には、

阿蘇神社は天文3(1534)年、当時伊佐早一円の領主であった西郷石見守が、現在の囲に社を建て、阿蘇大明神を祀ったのが、この神社のはじまりといわれています。

寛永元(1624)年に正法寺住職伝興法師が氏子と協力し、囲の地にあった阿蘇神社を現在地に遷宮しました。

とある。

阿蘇神社といえば熊本である。一度行ったが大きい神社だった。

なぜ諫早の多良見に阿蘇神社があるのかが謎である。

由緒には「伝興法師は阿蘇神社宮司の子息で、神社との縁が深かった」と書かれているが、どんなつながりがあるのか書かれていない。

阿蘇神社について

社記によれば、阿蘇神社の御創立は孝霊天皇9年(紀元前282年)と伝えられ、約2,300年の歴史を有しており、全国に約500社ある「阿蘇神社」の総本社です。

紀元前282年創立というのもすごい。

孝霊天皇は欠史八代の一人で、その実存には諸説ある。

紀元前282年は弥生時代で、稲作農耕や金属器の使用,紡織技術が始まった時代だ。

さらに秦の始皇帝の即位が紀元前246年であり、始皇帝をだまして若い男女ら3000人を伴って大船団で日本にやってきたとされる徐福伝説がこの頃である。

まあ伝説の年代なので、深く突っ込むことはできないが、そんな時代に神社が設立していたという事に驚く。

さて多良見とのつながりだが、

宮司職を世襲する阿蘇氏は、我が国でも有数の旧家として知られています。中世には武士化して肥後国を代表する豪族に成長しました。500社に及ぶ分社があるのは、こうした歴史背景に理由があると考えられています。
阿蘇神社HP

とある。

これは多良見に移った理由だが、その前に当時伊佐早一円の領主であった西郷石見守が、現在の囲に社を建て、阿蘇大明神を祀ったのが最初だ。

西郷氏は菊池氏の一族とされ、菊池氏は現在の九州の熊本県菊池市を本拠としていた豪族である。

とすれば、熊本からやってきた西郷石見守が、たぶん地元の神社を長崎の諫早に持ってきたのは理解できる。

それ以外にも熊本の阿蘇神社は謎が多いが、今回は諫早の話なので此処までとする。

喜々津

秀吉が九州にやってきた時、阿蘇大明神の神託を受けて喜び、喜聞津と名付け、それが喜々津となった故が由緒の立て札に書いてあった。

喜々津という地名は、安土桃山時代に記録のある地名である。

秀吉が絡んでいるわけがないので、これは大嘘と言える。

諫早は歴史的に面白い地域だ。

長崎の神社はほとんど回ったので、これから諫早の神社を回る予定。

楽しみだ。

多良見 阿蘇神社 神殿

多良見 阿蘇神社 境内の土俵

多良見 阿蘇神社 由緒の立て札

多良見 阿蘇神社