神浦(こうのうら) 神浦神社

神浦神社

神浦神社

神浦神社

長崎市神浦江川町816。神浦の商店街の中にある。

真っ直ぐに伸びたコンクリートの参道があり、白く見える鳥居が眩しい。

神社は古いが、掃除が行き届いていて凛とした趣きがある。

由緒には、寛政8年(1796)に石垣を築き境内とした神功皇后を祀る神社とある。

祭神は当然、神功皇后。

境内の左奥には、神功皇后の御腰掛け石がある。

神功皇后が今の朝鮮半島を征服した際に神浦に立ち寄り、当時人家にあった石に腰掛けられたと伝えられている石だという。

神浦(こうのうら)という地名の由来も、神功皇后伝説から来ている。

神浦神社

神功皇后の御腰掛け石

キリシタンの地域

神浦(こうのうら)地区は、外海で最初にキリスト教が栄えたところ。神浦8代城主、神浦正信は大村家の家臣となり、1571年に受洗。神浦はキリスト教が栄え、教会堂はもちろんレジデンシア(支部修道院)が設置された時期もありました。 長崎と天草地方のキリスト教関連歴史文化遺産群ウェブサイトより

確かに、もっと長崎寄りでは大野教会や松枯神社もあり、隠れキリシタンの里である。

この地域の城主は大村家の家臣となり、1571年に受洗を受けている。

なので神浦地区にはキリシタンが多くいたのだ。

だが、幕府より禁教令が出ると大村藩は手のひら返しをする。

神浦神社の「神功皇后御腰掛け石」は、キリシタン禁教令対策で作られたのだと思う。

神功皇后伝説

この伝説は不思議で、九州の北部、西部、瀬戸内海に多く分布している。

長崎にも多くある。

そして神功皇后伝説のある神社は、隠れキリシタンがいた地域と重なる。

これは幕府のキリシタン禁教令に忖度した、地域住民や支配者層の知恵でもある。

神浦神社 由来

神浦地区

日本一の清流の一つに選定された神浦川が流れていて、その河川で遊ぶことの出来るそとめ神浦川河川公園がある。

私も子供たちを連れて何度か行ったことがある。

浅い場所での川遊びは、小さな子供たちには最適である。

お勧めをしたい。

神浦神社

 

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