琴海 尾戸町 住吉神社
〒851-3215 長崎県長崎市琴海尾戸町333番地1
場所はバイオパークに行く道から、尾戸半島の先端小口港にある。大村湾に面しているので、神社の前は広い大村湾の景色が一望でき、とても景色のいいところである。
地域の概要
琴海地区は、波静かな形上湾と村松湾に面する景勝地にあって、古代遺跡や中世末期の山城が残されています。戦国時代の末期より明治時代に至るまで300年間は、キリシタン大名であった大村氏の藩領に属し、廃藩置県後長崎県に属しました。
大村湾への大口瀬戸につながる形上湾に面する戸根から長浦の地先には、千々石ミゲルの従兄弟マリナが庵を結んだ自証寺、塩釜神社や三社神社、長浦墓地五輪塔などの歴史的な史跡が残っています。
なるほど。昔は大村藩だったとある。
地域全体は農業と漁業で成り立っていたようで、穏やかな地域だったと思う。
住吉神社
港の道脇に一の鳥居がある。その右手にも石段があり、登ると日蓮宗の題目塔があった。
参道の石段を登ると、広い境内に拝殿がある。
神社は古くこじんまりとしている。見た目はお寺のような神社だ。境内に観世音菩薩350年祭、400年祭の石碑がある。
拝殿に行くと鈴を鳴らす縄の上を見ると、左手に鰐口、右手に鈴がある。これは神様と仏様を祀っている証で、鈴は神様用、鰐口は仏様用である。
拝殿を覗くと、拝殿左には日蓮宗の祭壇、右手に祭神の祠が鎮座している。
祭神は住吉神社なので底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の住吉三神だ。他にも神仏習合の神社はあるが、ここまではっきりわかる神社は珍しいと思う。きっと明治の廃仏令もこの地域までは、浸透しなかったのだろう。
日蓮宗
日蓮宗は法華神道というものがある。神仏習合思想に基づく仏教神道の一つで、日蓮宗において説かれる。
三十番神説というのがあり日本の著名な神々が1ヵ月 30日間,毎日番代りで『法華経』を守護するという信仰である。この説は古く天台宗に始ったが,日蓮宗に取入れられて,大いに流行した。
この三十番神は長崎でも時々見かける。
日本の仏教は鎌倉時代にその大本がある。鎌倉時代初期には天変地異がおこり、様々な災難が日本に起こっていた。その際様々な宗教が起こり、民衆の心の支えになろうとしていたからだ。
それまでの仏教は貴族社会の仏教で、なかなか民衆の心を掴むまでではなかったからだ。当時、日蓮がすすめる法華経以外の経典では、女性や武士をはじめとする一部の人々は成仏できないとされていたが、日蓮は「差別なく万人を平等に成仏できる」という仏教思想の原点を説くことによって民衆の中に深く入り込んだのである。
私の子供の頃、町中を「南無妙法蓮華経」と団扇太鼓を叩きながら行進する人達を見かけていた。その太鼓のリズムが妙に頭に残り、その迫力に心おののいたものだった。
日蓮宗はひげ文字と呼ばれる書体をよく使うので、字体を見ただけですぐ宗派がわかる。この神社の右脇の石塔もひげ文字だ。
神道と仏教は入り混じりながら時代を過ごしているのだが、別に敵対していたわけではなかった。
真言宗も神道に近づいていたのだが、日蓮宗はそれにもまして神道を尊敬し、自ら法華神道を説いていたほどである。
尾戸町の住吉神社の中に、神道の神様と日蓮上人が並列に祀られているのを見ると、過去この地に日蓮宗を布教する人々がいたことが容易に想像できる。
信仰が盛んな地域は、身分制度の偏りや、生活の苦しさが多い人々が住んでいる場合が多い。そして熱狂的な信仰が根付きやすい。
この地域は穏やかに見えるが、やはり中心地から離れているし、潤沢な畑や田圃を作れる土地もない。その影響かなと思いながら、この神社を後にした。