琴海形上町 三輪神社 謎の智津大権現

三輪神社

国道206号線で琴海を走っていると、形上町付近で山手側に入ると道脇に一之鳥居がある。

三輪神社 一の鳥居

三輪神社

三輪神社

三輪神社

コンクリートで固められた参道をすこし登ると、木の生い茂る神社の境内へつく。大きな二の鳥居を抜け三の鳥居が最後の鳥居だ。

この神額に三輪神社と金箔で書かれていて、鳥居は大正五年に作られたとある。

境内には何もなく、やや小ぶりな社殿がある。木造で瓦屋根だが、向拝の所が唯一神社らしくみえる要素か。

拝殿は広くなにもないが、鴨居の上には数多くの浮世絵らしき絵が飾られている。神殿の前には天皇陛下の垂れ幕が掲げられていて、ごく普通の神社である。

三輪神社

三輪神社

三輪神社

三輪神社 拝殿

 

境内には神社の由来が石碑に書かれている。

 三輪神社は、今をさる400年ほど前、慶長年間に大村藩の家令松浦氏の家臣で形上一帯を領していた相川勘解由左衛門尉藤原義武の創始による。キリシタン大名と言われた大村純忠のキリスト信奉により形上一帯もキリスト教徒が続出した。しかしキリスト教徒の跋扈により仏教や神道は邪教視され、神社仏閣を焼却するに到り、秀吉家康相次いで禁教令を出したので、第19代大村藩主喜前公も領内の奉教を禁じたので、当時の形上村の庄屋相川新右衛門はキリスト教弾圧の偽装策として寛永10(1633)年智津大権現を祭神としてこの老碕の守に奉祀したもの。

長崎市外にはキリスト教弾圧で偽装のために作られた神社はあるが、由来書に偽装のために建てられたとはっきり書かれている神社は珍しい。

それよりも明治政府の神仏分離政策で、仏を祀っていたが、無理やり神社に仕立て上げた物が多い。

まあ、形上一体が大村藩の影響でキリスト教になったのはわかるが、大村藩は秀吉、家康の禁教令で、反キリスト教に宗旨変えをしている。

そのせいで、キリスト信者たちは大村湾の島や僻地で隠れキリシタンとなっていたと記録にある。

三輪山 桜井市三輪

 

ただ謎なのは、この神社の名前が三輪神社だということと、その祭神は智津大権現だということである。

三輪神社の三輪は、恐らく奈良県にある日本最古と言われる三輪山信仰から来ていると思われる。歴史書によれば出雲の国が信仰していた神社で、現在の祭神が大国主命だということと一致している。

この名前はキリスト教偽装にしては、大きすぎる名前である。また最初の祭神が智津大権現とある。この神様も全く不明である。大きすぎる名前と、不明の祭神。
もし適当につけたのだったら、でたらめだとすぐ見破られてしまう気がするのだが。

この取り合わせはなんだろうか。この神社を祀ったのが庄屋さんだと書かれている。どんな意味があるのか聞きたいものだ。

謎の多い神社だった。

三輪神社 由来

三輪神社

三輪神社

三輪神社

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