上町 梅岡稲荷大明神 長崎の大火
長崎市上町1
桜町から市役所に行く一方通行の途中、左側にある。ビルの間の入口は注意していないと気づかない。
ビルの隙間が参道だ。この参道を抜けると少し広い境内になる。
社殿はこじんまりとしてキレイだ。なんとなく町にある銀行のATMに似ている感じ。
拝殿には石の祠が鎮座している。扉は閉められていて、鏡が祀られている。備えられている榊も緑を保ち、どなたかが管理しているのがわかる。
拝殿左側のビルに、小川町自治会集会所があったので、この自治会の人達が神社を管理しているのだろう。
拝殿の後ろには、立山から流れる小川(岩原川)があり、この川が、小川町の由来になったらしい。
小川町は正式には「こがわまち」と読む。戦前までは瓊浦公園付近まで続く大きな町だったが、戦時中の建物疎開で町の片側が強制疎開になったことや、桜町の立体交差化による区画整理、町名変更で、現桜町・金屋町・恵美須町・上町の内に分割されて現在に至る。
ただ長崎くんちの時には、昔からの呼び名である「こがわまち」で、くんちに関わっている。
長崎の大火
長崎の大火について調べると結構あった。
長崎寛文3年の大火(放火自殺事件) 、長崎元禄11年の大火、土蔵焼き貿易物品42億円余が灰に、 明和3年の大火、2800戸焼失 などだ。
この神社の天保9年の大火についての記録があったので書き留めておく。
○長崎天保9年の大火、25か町、1400戸余焼失(180年前)
1838年4月27日(天保9年4月4日)
夜、小川町から出火し内中町、恵美須町など25カ町を焼いて翌朝鎮火した。
被災町は先の内中町、恵美須町をはじめ、豊後町、新興善町、後興善町、本興善町、新町、船津町、堀町、今町、金屋町、本博多町、浦五島町、本五島町、樺島町、平戸町、大村町、島原町、外浦町、今下町、本下町、江戸町、西築町、東築町などに及んだ。なかでも主な建物として、中国語の通訳や中国貿易に関する実務と管理を行っていた長崎唐通事会所(事務所)、対馬、小城、鹿島、諫早、筑前など九州各藩の家老の長崎屋敷、高島秋帆、後藤市之丞、高木清右衛門屋敷が焼失している。被害数は、家屋1393戸、土蔵60棟、消火のための潰家35戸、6人死亡。
(出典:長崎市編「長崎叢書 下(増補長崎略史>年表 第七>天保九年・293頁~294頁」)
防災情報新聞 http://www.bosaijoho.jp/reading/years/item_8036.html
この火災の火元がこの神社の地なら、神社を建ててこの災害を記憶しておくことは、今後の火災予防のために大切だったのだろう。
お稲荷さんは火除の神様ではないが、火を出さないことで商売繁盛を願ってのことか。
こんな神社もあるのである。