戸町神社 奉行所が創った対キリシタン神社か

戸町神社

長崎市戸町2丁目2の24

長崎から戸町に向かう。戸町トンネルを抜けてすぐを左折すると、左手に一の鳥居がある。

戸町神社

戸町神社

戸町神社

戸町神社 手水舎

戸町神社

左右を樹々で囲まれたり急な石段を昇る。真ん中くらいと、登り切ったところに鳥居があり、先を進むと広くなった境内に入る。

社殿はそれほど大きくなく古さを感じる。瓦屋根で向拝もなく、あまり神社らしくない。

戸町神社

戸町神社

戸町神社

拝殿をみれば、こじんまりとしているが整頓されていて、神殿の前には太鼓、祓い、いくつかの供物、そして鏡が置かれている。

社殿の左手には社務所があり、左側の境内が広くなっている。その境内の山手側には祠が二つと、石碑がある。その右には国旗掲揚の柱があり、再度社殿を見れば、神殿の位置が急角度で高く、作りは古いがしっかりしていた。

建物は全体的に小ぶりな感じだが、清潔感があり、歴史も感じ取れる神社である。

戸町神社

戸町神社

戸町神社

戸町神社

創建は寛永三(1626)年。長崎奉行の命によって保食大神をお祀りしたことに始まる。

最初は松尾神社または杉ノ浦神社と称していて、戸町村の鎮守神だった。明治元年(1968)、戸町神社と改名し、現代に至っている。

長崎奉行がこの神社を建てた動機は不明だが、キリシタン排除の絵踏は1628年前後とされていて、神社創建の理由は対キリシタンだろうと思う。

とすれば、祭神を保食大神としたのは、特別意味がないのだろう。

保食大神とは、別名お稲荷さんのことなんだが、この神社にはお稲荷さんがらみが全くない。

これで謎が解けた。

長崎市内の神社仏閣は、キリシタン事情が裏にあるので、よくわからなくなっているものが多い。

おそらく長崎奉行が神社を建てる前にも、この場所は信仰の場所だったのだろう。境内にある二つの祠がそうだったのかもしれない。

二つの祠のうち右側は恵比寿様のようだった。

海の近い場所である。恵比寿様が祀っていても何の不思議はない。ただ、記録にはないので、これらはただの想像だが間違いないと思う。

戸町神社 境内の祠

戸町神社

 

戸町

戸町という地名は、長崎半島の入口の意味から付けられた説や、船の停泊地という意味の門泊(とはち)からある。戸町となった説がある。

戸町の向かい側、神の島と福田の間には木鉢(きばち)という港がある。ここの地名も謎なんだが、「とはち」と「きはち(木鉢)」はよく似ている。想像だが同じ港だし、船の停泊所説の方が信憑性があると思う。

戸町には領主がいて、城もあった。

戸八浦水本城(南北朝時代)は戸町神社の後ろ方面の親岳にあったといわれている。歴史に残っているのは、鎌倉時代にやってきた深堀氏との領土のせめぎ合いである。

もともと戸町氏の領土だったところへ、鎌倉幕府が深堀氏の所領として与えてしまったのが、争いの原因である。

戸町氏は昔から地元の豪族だったといわれているので、武闘派の深堀氏との諍いは後を引いている。

近年は、女神大橋も出来、世界遺産の小菅修船場跡(ソロバンドック)が近くにあり、南長崎地域の中心的存在として発展を続けている。

ただ、私が思うにやはり道が狭い。戸町トンネルは特にそう感じてしまう。今後の発展に期待したい。

 

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