戸町の白髭神社 絶壁の岩穴に作られた修行場


この神社はグーグルマップに載っていたので行ってみることにした神社である。

場所は戸町のバイパス、小ヶ倉田上線、上戸町病院の先、上戸町。これだけ情報があれば、見つけられるだろうと思った。

地図を見て現地に行ってみると、神社への道らしきものが見当たらない。

だいぶ探したが、見つからない。

戸町 白髭神社

戸町 白髭神社

諦めて帰る途中に、道路脇の建設会社の空き地をみつける。一応入ってみる。

そうすると山側に仏像群を発見。神社ではないがとりあえず近づいてみる。

水神の井戸があり、巨岩の下にはいくつかの仏像。明らかに拝殿になっている。

そして、山の上に通じる横道には、数多くの仏像、石像が並べられている。

どれもが古びていて、破損しているものも多い。

戸町 白髭神社

戸町 白髭神社

戸町 白髭神社

戸町 白髭神社

戸町 白髭神社

戸町 白髭神社

戸町 白髭神社

その上には道らしき道はないが、上の方にパイプが複数ある場所がある。

そこを目指して登っていくと、そのパイプは手すりとして作られたものが、壊れた残骸だった。

しかし、かすかに道の跡があった。

大きな岩が道を塞いでいたが、回り込んでその細い山道を登り始めた。

見上げると大きい岩場につながっている。

戸町 白髭神社

戸町 白髭神社

戸町 白髭神社

戸町 白髭神社

恐らくここで間違いないと、のぼりきると、岩場をくり抜いて祭壇のような場所があった。

そこに3つの木で作られた鳥居が置かれている。

朽ちているようで、左2つは神額がない。右の鳥居には、熊野権現大明神の名前がある。

ここだな。

白髭神社の名前はないが、この岩穴がそうだろう。

改めてみてみれば、神社というより、修行場のようだ。

他の場所で見たことがあるが、修行僧が岩場に座り大きな声で読経を繰り返し行なっていたのを見たことがある。

恐らくここも修行僧の修行場なんだと思う。

神額が朽ち果てて読めないが、昔は白髭神社と書かれていたのだと思う。

戸町 白髭神社

今でこそ戸町は山の中ではないが、昔は修行僧が来るほど山深かかったのだ。

後で調べると、この岩場は、戸町岳の一部で弁慶岩といい、そこに祀られた神社だということがわかった。

さらに文献を見つけた。

戸町峠

長崎医学伝習所生関寛斎「長崎在学日記」、文久元年(1861) 戸町峠(二本松神社)まで来て、次のとおり記している。

戸町峠にて襯衣を去り單物一枚になる、此峠頗る嶮なり東は崎陽を一望し北は港内の諸島を見る且つ峠上に路を距ること一町許の處に大きなる石峻起立し峠を抜くこと二十間許り殆んど人口の美を奪ふ。

この弁慶岩が長崎港の美しい景観を邪魔していると言った内容である。

やはり、この場所は戸町峠だった。

一度この山の中の道を歩いたことがあるが、あれが旧道だったんだなと思う。

とすれば、下にある仏様や石仏は、六地蔵のように道中の安全を祈るためのものか、もしかしたらこの近くに、お堂か祠が昔あったのかもしれないと思う。

戸町 白髭神社

弁慶岩の名称だが、弁慶のように大きいという意味だろうか。

長崎市内の浜の町の近く高平町に辨慶(べんけい)稲荷神社というのがある。

そこも大岩を祀っていて、弁慶石といい弁慶が立山から蹴ったと言い伝えられている。

長崎で弁慶の伝説があるはずはない。この話がどこから来たのか不思議だが、戸町の弁慶岩となにか関係があるのかもと想像する。

高平町 辨慶稲荷神社

 

白髭神社の祭神は、ヒゲモジャの猿田彦が普通だが、長崎の海辺の町の神社では祭神が武内宿禰のところも多い。

さて、ここはどうだろう。

何もかも不明だが、やっと見つけられてスッキリとした。

長崎の周辺は山だらけで、まだまだ知らない場所が多いことを思い知った。

戸町 白髭神社

戸町 白髭神社

戸町の白髭神社 絶壁の岩穴に作られた修行場” に対して2件のコメントがあります。

  1. a より:

    白髭神社じゃないです。間違ってますよ。アートワークスさんの記事は間違いが多すぎます。
    もうちょっと郷土誌など目を通して記事にしないと皆さんに迷惑かけますよ。

    1. artworks より:

      確かに白髭神社という鳥居は発見できなかったことを覚えています。もしご存じならこの場所は何というのでしょうか。地図に載っている白髭神社は別にあるのでしょうか。また間違いが多すぎるとのことですが、もしよろしければその個所をご指摘いただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

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