飯盛 江ノ浦神社 飯盛に少名彦名がやって来た

江ノ浦神社

江ノ浦神社

江ノ浦神社

江ノ浦神社

場所は諫早市飯盛(いいもり)町中山607-2

国道251号線を走り、諫早市役所飯盛支所の近くとしか、わからないが道沿いに一の鳥居がある。

立派な石の鳥居をくぐり、最初の石段、更に石段で3階建ての境内である。石垣もしっかりしており、登りきって境内に出ると、境内も広い。

左手には土俵があり、布で保護のため覆われている。

本殿も古いがしっかり作られていて、拝殿を覗くと広く片付けられている。

この神社の創建を知りたかったのだが、ネットにはどこにも出ていなかった。

どこのページを見ても、天井絵と絵馬の事ばかりである。

拝殿の上を見たが絵はなく、その奥にあるのかもしれない。

天井絵は179格の中に花卉、動物、人物、山水。絵馬は『秀吉耐忍之図』と『西郷卜月照之図』の2枚という事で明治39年熊野神社改築時に奉納されたものらしい。

江ノ浦神社

江ノ浦神社 土俵

江ノ浦神社

江ノ浦神社 拝殿

江ノ浦神社

江ノ浦神社 神殿

江ノ浦神社

祭神は大穴牟遅命(おほなむち 大国様)、少名彦命。

この神様は、大和の国づくりのバディだ。

神社の宝物は宝剣1振、他に鎮座由来記一部がありとある。これを読んでみたいものだ。

江の浦神社と名前がついている。近くに川が流れているので、昔はこの地域まで川もしくは海が来ていたのかもしれない。

飯盛という地名だが、佐賀県にもあり、いいもり、いさかり、いさがい、はんせい、めしもりなど、複数の呼び方があるという。

佐賀の記録では、干拓の際に、飯の炊出方をなし、これを盛って公役の人夫に配ったので「飯盛」と呼ぶようになったとある。

ここの飯盛も、かなり埋め立てられているようなので、同じような理由で飯盛という地名になったのかもしれないと思う。

そういえば、江の浦神社は高台にあり、石垣もしっかりしている。神社の近くまで、やはり海が来ていたのだろう。

近くに海があったなら、祭神が少名彦名というのも頷ける。

少名彦命

少名彦名は『古事記』によれば、大国主の国造りに際し、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ=ガガイモの実とされる)に乗り、鵝(ヒムシ=ガとされる)の皮の着物を着て波の彼方より来訪したのだ。

橘湾沿岸は、縄文などの古代遺跡も発掘されていて、昔から人々が住んでいたのだろう。

更に沿岸の神社には、来訪神伝説が多くある。

この江の浦神社地域も、外部から有益な人がやって来て、この地を発展させたのかもしれないと思う。

ここは江戸時代、佐賀藩の領地だったが、それ以前も裕福で発展していた地域だったのだろう。なので神社の作りもしっかりしている。立派な天井絵や絵馬が奉納されたのもその為だろう。

江ノ浦神社

江ノ浦神社

 

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