長崎大神宮 天照大神を祀る伊勢信仰

長崎大神宮

長崎大神宮

長崎大神宮

長崎大神宮

長崎大神宮

長崎市栄町6-12

この神社は中島川の眼鏡橋の近くにある。大きな幟があるのでわかりやすい。

低い石柱で囲まれていて、鳥居は伊勢鳥居系といわれる、上部に反りがなく一直線。(伊勢神宮の鳥居の特徴は、「笠木が5角形」をしていて、笠木の両端が斜め下に切り落とされている形をしている。この神社の鳥居は笠木が丸)

一階は駐車場、二階が境内になっている。左側の急な階段を登ると、境内になる敷地で、両側の背の高いビルの間で、結構迫力のある拝殿が建てられている。

まあ、豪華というか、派手というか、一般の神社と比べると際立っているものがある。

大神宮とは、天照大神を祀る神社である。長崎にも滑石太神宮という神社がある。

一般的に、神宮というと伊勢大神宮のことを指す。なので地域の大神宮には、頭に地域名が付く。

長崎大神宮 拝殿

長崎大神宮

長崎大神宮

御祭神:天照皇大神、魂鎮八柱の神(神魂神 高御魂神 生魂神 足魂神 魂留魂神 大宮能売神 御膳都神)饒速日の命、豊受姫命、 事代主命、菅原道眞公

なかなかてんこ盛りである。それも有名な神様が勢揃いしている。

沿革
・明治11年(1878)伊勢神宮の内宮である皇太神宮を勧請し諏訪神社に鎮座
・明治19年(1886)大村町(現 万才町)に社殿を建立して移転。
・明治32年(1899)神宮奉斎会長崎本部、大村町大神宮と改称。
・昭和20年(1945)社殿は原爆による火災で焼失。
・昭和28年(1953)栄町の現在地に移転、改築。長崎大神宮となる。

創立は明治11年とある。

由緒書には、初代長崎県(長崎府)知事 澤宣嘉(さわ のぶよし)氏が、長崎県の国威発揚のため勧請したとある。

初代長崎県知事 澤宣嘉氏は七卿落ちと呼ばれる7人の公家が京都から追放された人物の一人である。

王政復古の大号令の前夜、朝議にて赦免され、官位や諱が復されると、澤宣嘉は外務卿となり、明治政府の要職に就く。そして初代長崎県知事となったのである。

長崎大神宮

長崎大神宮 由緒

まあ県知事が作ったとなれば、どこか政治色が付くものだ。

神社と政治はそれほど密接ではないが、国威発揚ということだと、結びつくやすくなるようだ。

ここの神社のことではないが、ヤクザの襲名式なんかの時に天照大神の掛け軸がよくかかっているのを映画でよく見る。右翼団体も、大体天照大御神と菊の紋である。

現実の天皇陛下は、政治に関しては絶対口を出さない。

やはり、最高の権威は、その力の影響力はものすごく、その時代の権力を持つグループに利用されてしまう。それを避けるためである。

僕は神社は奥ゆかしく控えめのほうが好きかな。

 

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