三和町 大山祇神社 深堀氏の始祖、三浦一族の存在

大山祇神社

大山祇神社

大山祇神社

大山祇神社

大山祇神社

長崎市三和町157

場所は三和町の鹿尾川沿いに一の鳥居が有る。参道左に「うなぎの鹿の尾屋本店」があり、真っ直ぐ進むと神社がある。

広場のようだが、駐車場スペースかも知れない。

神社よりの左側に手水舎と大山祇参集館、右手には忠魂碑と、その奥には公衆トイレ。

参集館手前には小さなすべり台と遊具が少しある。

いずれも、それほど古さを感じない。

正面に二十段ほどの石段を上がると、立派な拝殿が有る。

左右に狛犬もいて、堂々とした作りである。

大山祇神社 海神社

大山祇神社 海神社

大山祇神社 海神社

大山祇神水

大山祇神水

大山祇神水

右手奥には海神社と書かれた鳥居があり、その鳥居をくぐると狭く苔むした石段が少し。

社殿はないが、左右に狛犬が控え、その奥の一段高いところに、石の祠が3つ。3つとも御神体の代わりに、榊がそなえられている。

左手にはコンクリートの道があり、大きめの岩に着く。そこにはコンクリートの水場らしきものがあり、上部は金網で覆われている。

手前に戻ると木に書かれた水場の説明板があった。

大山祇神水
古来よりこの御神水はこの地に住み人々に多くの恩恵をもたらしてきました
戦前の昭和十五年この聖地に大山祇神社が遷座後はその尊き御神気を帯びて氏子の方々永永と貴重な御神水として又出征兵士にとっては「武運長久」の御利益を頂ける「勇気の水」と称えられました
今日でもその清き流れは絶ゆる事なく「長生・命の水」として地域の人々に浄く大切に守られております

拝殿には青い幕が張られていて、その紋は「折敷に三文字」である。

この辺り一帯は深堀氏の所領となっていて、深堀氏の家紋は「丸に三つ引両」で、よく似ている。

拝殿の扉は閉じられていたが、格子のガラス越しに見ると、左手に神輿が置かれていて、右手には祭りに使う道具かもしれない物が置かれている。

後は太鼓くらいで、神殿への階段に、小さな神垂が置かれている。

ここでは、お祓いなどしないのかなと思うくらいだ。

拝殿の奥に回ると、立派な塀に囲まれた神殿が上部に鎮座していて、作りもしっかりしている。

へえー。

こんな立派な神社が、三和にあったんだと感じたくらいである。

大山祇神社

大山祇神社

大山祇神社

大山祇神社 神殿

この神社は平成13年頃に再建したと書かれている。

この神社の氏子は、三和町、土井首、毛井首、磯道町の4町の住民。建て替えのための寄付を募ったところ、予定を遥かに超える金額が集まり、2001年、立派な社殿が復元された。境内には地域の人々が有効に使える多目的機能を備えた交流館も完備。この春からはそこで地域住民による柔道教室などが開始された。

なるほど。しっかり修復されていたんだ。

毎年11月3日には土井首くんちも行われ、ここでの一番人気は隣の「竿浦くんち」の奉納踊りである「竿浦・江川浮立」の特別参加だそうで、ネットにも楽しそうな写真がアップされている。

祭神は大山祇神社(おおやまつみ)

伊弉諾尊と伊弉冉尊の間の子で、磐長姫命と木花開耶姫命(瓊瓊杵尊の妃)の父。元は山の神であるが、(総本山の)大山祇神社が瀬戸内海の要所に位置することなどから、大山祇神社では海の神としての性格も強い。

長崎にも大山祇を祀る神社は有る。

いずれも、山の入口にあり、素朴な民間信仰のようだと感じている。

ここの神社は立派で、境内には海(わだつみ)神社も祀られているし、神水の汲み場もある。

それなのに、創建の由来がネットに見当たらない。

不思議である。

念のため、深堀氏を再度調べてみる。

深堀氏の祖は相模国三浦荘から発した三浦氏といい、ついで和田姓を名乗り、仲光のころ上総伊南荘深堀に居を移して、深堀を名乗るようになったという。このことから、仲光を深堀氏の初代に数えている。

仲光は承久三年(1221)の承久の乱において幕府方として戦い、その功によって(略)建長七年(1255)、肥前国彼杵荘戸八浦の新補地頭となった。(略)時光の流れが戸八浦に在地して、地名も深堀と呼ばれるようになった。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hukabori.html

なるほど。拝殿にかけられていた幕の紋の意味がわかった。

この神社には「折敷に三文字」。

折敷に三文字 深堀氏からの分家か

三浦三つ引両 三浦氏

丸に三つ引両 深堀氏

三浦氏は「三浦三つ引両」、深堀氏の紋は「丸に三つ引両」つまり三という数字が三浦一族のシンボルだったのだ。

ただ、三浦氏が大山祇神を信仰していたかは不明である。

海南神社

資料には、三浦一族の祈願所は「海南神社」とある。

海南神社は源頼朝の敬神の念が厚い神社で、982年には現在の地に社殿が建立され、三浦郡の総社となっている。

主祭神 藤原資盈(ふじわらすけみつ)、盈渡姫(みつわたりひめ)、地主大神、天照大御神、素盞嗚尊、天之日鷲命(あめのひわしのみこと)、菅原道真、筌竜弁財天(せんりゅうべんざいてん)

たくさんの神様がいるが、この大山祇神社と関係がありそうなのは地主大神だろう。

地主大神が、長崎の三和では大山祇神として祀られた可能性は高い。

そして筌竜弁財天(せんりゅうべんざいてん)は、大山祇神社の脇にあった海(わだつみ)神社かもしれない。

これらは想像だが、恐らく深堀氏の援助があり、この立派な神社が存在していた可能性は高いとおもう。

山があり、川が流れ、海の近くで、きれいな清水が湧くこの地は、周りの住民の人達から慕われ、山の神を氏神として建立され、今まで存在してきたのだろう。

良い神社だと思う。

大山祇神社

大山祇神社

 

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