蚊焼 歳神宮 由来は不明だが桐の紋章がある

長崎県長崎市蚊焼町2095 歳神宮

蚊焼 歳神宮

蚊焼 歳神宮 住宅地から登る石段の参道

山から回り込んで車道から歳神宮へ

歳神宮

表忠碑

蚊焼小学校が近くにある。499号線の蚊焼バス停から住宅地へ行き、路地を進み、長い石段の参道を登ってたどり着く道と、山へ行く車道から行く道がある。

今回は車道から行く。車道で行き神社に着けば、参拝者用の駐車スペースがある。

そこは神社の側面で、白い社殿と、左手の坂を登る神殿があった。

神社は白壁で、拝殿の枠に茅の輪くぐりがセットしてあった。

境内は砂利で道はコンクリートで固められているが、右奥は草はらで、そこには立派な表忠碑があった。

拝殿

拝殿を覗くと神殿へ行く階段の前に木枠があり鍵がかかっている。

鴨居の上には、いくつかの額があり、そこに祭神が記されていた。

御祭神は御年大神、若年大神、大年大神。

年神は一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを一つの神として信仰した素朴な民間神が年神という説あり。

飛び狛

歳神宮 神殿

歳神宮 境内

五三桐紋

拝殿の左右の壁には五三桐紋が描かれている。社殿屋根に飛び狛あり。

この神社の由来の記録がない。

となれば、わかっている事だけでいつもの推理をする。

神社を推理する

祭神は年神ということで、この神様は諫早に多い神社だ。

1年の収穫を祈る神様なので、やはり農地や平野に多いのだ。

この神社一体を地図で見れば、平地になっている。やはり農業関係者が祀ったのだろう。

次に「茅の輪くぐり」だ。

茅の輪くぐり

茅の輪くぐりは、夏越の祓なごしのはらえの風習のひとつで、ここの拝殿に設置されているのは、一年の前半の穢れを祓うの茅の輪だろう。

茅の輪くぐりの由来は、蘇民将来(そみんしょうらい)という話から来ている。

これをやる地域はたくさんあるが、すぐ思いつくのが、京都の八坂神社だ。

次に拝殿壁の五三桐紋。

この紋は多くの場所で使われているが、格調高い紋なので、支配者側がよく使う。

室町幕府のほか皇室や豊臣政権など様々な政権が用いており、現在では日本国政府の紋章として用いられている。

うーん、いまいち絞れない。

蚊焼は深掘家の所領か。そうすると武家が絡んでいるのか。

しかし桐の紋がある。深掘家は鎌倉時代に長崎にやって来た武家集団。三浦半島の三浦一族の流れで、武闘派の集団だ。江戸時代以降は佐賀藩に属している。

しかし桐の紋と茅の輪くぐりがあれば、京都が連想され、京都といえば公家文化。

皇室の流れを汲む貴族の家柄が、この場所を作った可能性もある。

・・・・

推理はここまでである。

祭神は農業の収穫を祈る神なので、蚊焼の農地の方たちの氏神だと思う。

社殿は大きくないが白塗りで、少し一般の神社と違う雰囲気があるので、平安貴族あたりの由来があるのかもと思う。

この神社の茅の輪くぐりだが、茅の輪(ちのわ)とは、茅(かや)の事をいう。

「蚊焼」という地名について、古くは「茅木」「萱木」とも表記された。由来に関する俗説としてかつてカヤを焼いた跡地で焼畑農業が行われたとされ、「カヤヤキ」が「カヤキ」に変化したものといわれる。ウィキペディア

という事は、蚊焼だから茅の輪くぐりの行事を行ったという、逆の流れがあるのかな。

いや、茅の輪くぐりを行う地域なので、蚊焼という地名になったのか。

まだ頭の中が迷走している。

神社自体の作りは新しく、近年建て替えられたと思う。

山からの道もあり、住宅地からの参道の石段や鳥居もしっかりしているので、長年敬愛された神社なんだと思う。

何かありそうな神社である。

歳神宮

歳神宮から蚊焼の町を見る

 

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