小曽根 立山稲荷大明神 長崎奉行所で祀られていた

長崎県長崎市小曽根町1-13

立山稲荷大明神

立山稲荷大明神

立山稲荷大明神

立山稲荷大明神
場所は大浦のロシア領事館通りという所に有る。鳥居は奥にあるが、通りには狛犬が二体あるので、否が応でも気づく。
住宅地にあり、両サイドが一般の住宅なので、庭に置かれている個人的なお稲荷さんかと思い、恐る恐る近づいてみた。
赤い鳥居の左右には石灯籠があり、鳥居の扁額には正一位立山稲荷大明神とある。
石垣で台が作られていて、その上に小さな祠が祀られている。
隣りにある住宅は、龍馬を応援した小曽根乾堂の子孫の方の家という事で有名。
この神社は、長崎奉行所立山役所にあったもので、それを譲り受けたからという事で、立山稲荷ということである。
長崎奉行所(立山役所)関連年表を調べてみると
1800年 鎮守稲荷役拝殿建替有之,正月十六日ヨヲ造営取掛リ一月十日成就ス
という一文があり、確かに長崎奉行所にあったお稲荷さんのようだ。
いつ建てられたかは不明だが、昔から有った事には間違いない。
小曽根乾堂は有名人で、小曽根という地名も、戸町村大浦郷堀ノ内の海岸を埋め立て、その埋め立て地の一部を居留地に編入する際に長崎奉行より埋め立て地内に私有地を許可されたからと有る。
そして、その功績を記念する町名を賜与されたのである。
私の祖母は、このあたりを浪ノ平とずっと呼んでいた。昔は戸町村浪ノ平郷だったからである。
もちろん祖母の時代には小曽根という町名は有ったと思うが、地域の人達は浪ノ平と呼んでいたようである。

立山稲荷大明神

立山稲荷大明神
長崎奉行所で祀られていた稲荷社。
裁かれる人の絶望と、裁く人の憂鬱をこの稲荷は見てきたのだろう。
真実は神のみぞ知る。
稲荷社の後ろには長崎港がよく見える。これからも残してほしい稲荷社である。