大村神社 兵どもの夢のあと

大村神社

大村神社

大村神社

大村神社

大村神社

大村神社

大村神社

有名な大村公園の中に有る玖島城の本丸跡にある。

公園の駐車場から入り、お堀の脇を通り、桜田橋をわたり石垣伝いに、正門へ行く。

きれいな城壁に誘導されるように、右左に曲がって進み二の鳥居へたどり着く。

行った日が天気が良く、広々とした本丸跡に悠然と神社が建っている。

拝殿に向かう石畳の左右には、ピンク色の灯籠が並んでいて、花見の雰囲気が満開。

おまけに有名なオオムラザクラも満開で、すごく得したような気分で参拝をする。

大村神社

大村神社

祭神
大村直澄公を始め、同親澄公、同澄宗公、同澄遠公、同純興公、同純弘公、同純熈公の大村氏歴代の領主、藩主7柱を主祭神に、同家の祖とされる藤原鎌足公、藤原純友公を始めその他の領主、藩主36柱を配祀する。

藩祖を祀った神社は江戸時代後期から明治時代初期に流行したとある。

大化の改新の藤原鎌足も祀っているというのが面白い。武士なので出自がとても大切で、血統は何よりも尊いのだろう。

武士というのは実力の社会なのに、源氏とか平家の子孫だとする血統をなぜ大切にしたがるのか。

あの豊臣秀吉はその典型だろう。

日本の天皇は、その血統だけで二千年も続いている特殊な社会だ。もちろん外国にも血統を気にしている社会はあるのだが、日本ほどではないようだ。

要するに統治する側にしてみれば、力だけではなく、頭である正当性を示したいのだ。

治められる側にしても、古代よりの血統を示されると、なんとなく納得してしまうのも心理である。

由緒
文化2年(1805年)に時の大村藩主大村純昌が祖先とする藤原純友公及びその一族を「御霊宮大明神(ごりょうぐう )」と称して領内西大村池田山に創祀した神社を起源とし、文化11年には純鎮公を、天保9年(1838年)には純昌も「純昌公」として合祀された。その後藩主から年間祭祀料を支弁される等の崇敬を受け、明治3年(1870年)には更に純鎮、純昌以外の歴代藩主9代を合祀して社名を「常磐神社」と改称した。

最初は御霊宮大明神(ごりょうぐう )として池田山に祀られていた。明治3年(1870年)には常磐神社となり、現在の玖島城に来たのが、明治4年だという。

戦後の昭和30年(1955年)には社殿地を大村家から寄進されているとあるので、それまで、このお城は大村家のものだったということになる。

大村公園

公園は桜、お堀、橋、菖蒲園でも有名で、大村第一の観光スポットである。「日本さくら名所100選」「日本の歴史公園100選」の地にも選定されているという。

大村湾を望む玖島崎の城跡を中心に桜と花菖蒲の公園として整備された園内には、3月下旬から4月中旬にかけてソメイヨシノ、国指定天然記念物「オオムラザクラ」を含む約2000本が次々に咲き続けます。5月下旬から6月上旬には、約10万株およそ30万本の花菖蒲が見頃を迎えます。

今回、4月中旬に行ったので、ソメイヨシノは見頃を過ぎていたが、オオムラザクラ、クシマザクラが咲き誇っていて、その大ぶりの桜は、ソメイヨシノより派手で春の雰囲気満開だった。

行ったことがない人は、春に行くことをお勧めする。

オオムラザクラ

クシマザクラ

キリシタン大名

1599年大村藩初代藩主・大村喜前(よしあき)が築城してから12代純熈(すみひろ)の幕末までの270年余り、大村氏の居城であった玖島城と解説には有る。

有名なキリシタン大名の大村純忠は、大村藩初代藩主、大村喜前の父親である。

父親はキリシタンとして生き、息子は藩主としての人生を選んだ。

このドラマは、大河ドラマ並みだと思う。

結局、1615年春に病を理由に、家督を嫡子の純頼に譲り、1616年8月8日に48歳で大村で没した。

そしてこの死亡は、迫害を恨んだキリスト教徒によって毒殺されたとも言われている。

長崎は大村純忠の決断で大きく運命が変わった街である。

さらに日本の宗教を大きく変えたとも言える。

キリシタンが日本にやってくるのは、世界の流れからすれば必然だった。ヨーロッパは全てのアジアを植民地にしようとしていたからだ。

そして、その手先を若い大村純忠が担った。

弱小藩で、佐賀や島原からいいようにされていたので、起死回生の策だったのだ。

最初はうまく行っていたのだが、ヨーロッパのイエズス会の大きな誤算は、日本が想像以上に軍事大国で、武士階級は他のアジアと大きく異なっていた点に有った。

結局、キリスト教は禁教となり、その取締のため仏教を使う。仏教は国をスポンサーとしたため、肥大し始め、弊害も多く出るようになる。

そして明治維新の際、江戸幕府とともに仏教も堕ちていく。

その全ての始まりが大村純忠とも言える。

玖島城を見るたびに思うのは、松尾芭蕉の「兵どもの夢のあと」の句である。

藩祖として神にさせられた大村藩主たちも、そう思っているような気がする。

大村神社

12代大村純熈(すみひろ)

 

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