西泊 天満宮 福岡藩士が祀る

〒850-0075 長崎県長崎市西泊町9-13 西泊 天満宮

西泊 天満宮 神明鳥居

西泊 天満宮 一の鳥居横の記念碑

西泊 天満宮への道

西泊 天満宮 二の鳥居 明神鳥居 

西泊 天満宮 三の鳥居

三菱造船所のある地域で、飽の浦から、神ノ島方面の道に入り、立神を過ぎてトンネルを抜けると、西泊の港に出る。

港から民家方面へ進み、狭い路地を進むと、一の鳥居がある。

石の鳥居は立派で、笠木がなく、抜き以外はすべて円形の柱で構成されていて、靖国鳥居(神明鳥居)と呼ばれる形式だと思う。

この神社は天満宮なので、この形式は不適当かと思うが、まあ決まりはないので、これでも問題ないんだろう。

鳥居の左手には石碑が二基。

鳥居を抜けると細いコンクリートで舗装された路地をいき、石段を上ると左手に二の鳥居がある。

この鳥居は明神鳥居と呼ばれる形式だ。一と二で鳥居の形式が違うのは珍しい。

二の鳥居にはでっかいしめ縄が張られている。更に上ると三の鳥居。

二の鳥居には明治39年。三の鳥居柱には明治37年と彫られている。という事は、鳥居をどんどん継ぎ足していったのだ。

西泊 天満宮

西泊 天満宮 牛?

西泊 天満宮

西泊 天満宮 拝殿

山水奇観 1799年 渕上旭江

石段を登りきると、天満宮社殿へ着く。

境内が狭いので、コンパクトに建てられている。外装は古臭くないので、改修されたのだろう。

境内の入り口には、石の台の上に石の塊が置かれている。もしかしたらこれが牛の像かも知れない。

拝殿入り口の左右には狛犬。やはり境内が狭いので、窮屈そうに置かれている。

拝殿の中はきれいな板張りで、鴨居には絵が飾られている。

右手の鴨居の上には、江戸時代の長崎港の絵が幅広く書かれ、飾られている。

タイトルが山水奇観、1799年 渕上旭江という方が書かれているようだ。

すばらしい。コピーでいいのでネットに上げてほしい絵図である。

西泊 天満宮 神殿

西泊 天満宮 祭神

西泊 天満宮 祠

西泊 天満宮 祠

社殿を回り込み神殿の方を見ると、コンクリートで崖を固めている。そのコンクリートの壁に段差をつけ、石の祠が置かれている。

これが御神体だろう。

だが中にはなんにもなかった。もっと回り込み社殿の後ろ右手を見ると、ここにも祠がある。

二つの祠の紋章が違うので、違う御神体かなと思う。

ここから、長崎港がよく見える。小さいがしっかりとした神社である。

西泊には西泊番所跡という石碑がある。

江戸幕府が長崎港警備のため1641年(寛永18年)陣屋を設けた場所で、西泊番所は対岸の戸町番所と共に200余年の間、佐賀鍋島藩と筑前(福岡)黒田藩が外国船の取り締まりを行ってきた場所である。

長崎県の文化財 (pref.nagasaki.jp)

西泊番所跡の看板

由緒が書かれたHPがあったので掲載させていただいた。

この西泊天満宮は、西泊番所の勤務にあたっていた福岡藩士が、太宰府天満宮の遥拝所として勧請したのが始まりとされる。石灯篭など多くを福岡藩氏が奉納しており、拝殿内にある額は1859年(安政6年)のものである。

現在は西泊地区の氏神のようで、くんちも行われている。

町中には、幕末から明治中期にかけて建てられた国登録有形文化財の佐藤家住宅がある。

長崎港の警護のために詰めていた侍たちや兵隊さんたちの跡がしっかり残っている地域だ。

大切にしてほしい。

西泊 天満宮

西泊 天満宮

 

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