上戸町 三浦神社 砦跡に祀る

長崎県長崎市上戸町1丁目13-29 宝輪寺 三浦神社

上戸町 三浦神社

上戸町 三浦神社

上戸町 三浦神社

上戸町 三浦神社

市内から、戸町のバイパスに乗り、上戸町病院を過ぎたあたりから、右手の住宅地の中に入っていく。

後はグーグルマップの言われるとおり進み、ボンヌール 南長崎という大きなマンションの駐車場の奥に、神社への石段があった。

これはわからないと思った。周りからは鳥居が殆ど見えないからである。

奥の石段の手すりに、宝輪寺の案内がある。

という事は、この三浦神社は宝輪寺の敷地内に有るということだ。

細くて急な石段を登りきると、石板の由来書が据えられている。

簡略して内容を書く。

深堀氏の子孫は上総国の三浦氏。三浦仲光は承久の乱で恩賞地として戸八浦の新補地頭となり、経営は子の行光が行ない、後に深堀氏となる。

三浦神社は深掘能仲は、鎌倉の鶴岡八幡宮の分身を捧持して祀った。それにより、里の民は八幡様、猿田彦、大山津見を祭り、土豪との戦いでなくなった方を合祀して祀った。

まあこんなところだ。

という事で三浦神社の祭神は、八幡様と言ってもいいだろう。

上戸町 三浦神社

上戸町 三浦神社

由来板の先に鳥居が建てられている。

社殿はなく、石の祠が祀られている。祠の屋根の正面には、三浦氏の家紋「丸に三つ引両」がある。

以上だ。

この場所はかなりの高台で、宝輪寺の裏手に当たるようだ。景色は素晴らしい。

三浦神社の名前は他にもあり、グーグルマップによれば長崎市大籠町に三浦神社が明記されていたが、行ってみたら何もなかった。佐世保市と五島にも有るようだ。

深堀氏の祖先が上総の三浦一族というのは、知られていることだが、長崎で深堀氏となったからの年月も長く、関東の三浦一族を祀る神社が殆どないのは、しょうがないことである。

宝輪寺

この敷地は真言宗醍醐派の宝輪寺で、城野尾砦戦国武将士霊供養塔というのがある。

当地はその昔、城野尾砦(じょうのおとりで)と云いまして、三浦一族が平家の残党討伐の為に砦を築き、激しい戦闘が繰り広げられていました。宝輪寺HPより

そうか、ここは砦の跡だったのだ。

これだけ高いと、攻めにくい砦だったろうと思う。

この神社は、長崎の中世時代の歴史の一端である。

上戸町 三浦神社

上戸町 三浦神社

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