古賀町 山王神社 子供が通学する道に在る
長崎バイパスの多良見出口付近。または矢上から諫早に行く国道34号線の肥前佐賀駅の先にある「つつじヶ丘」の住宅地の端に有る。
この神社を参拝していると、通学路になっているのだろう。小学生たちが脇を通りすぎていく。地域の神様として息づいているようだ。
下から登る道と、上の道路側から降りる道が有る。
私はバイクなので上の舗装された道からで、道路の脇道を下るとすぐそこにあった。天道幼稚園の看板の真下になる。
下の道から石段を登ってくる参道の方に鳥居がある。
やや細い木製の鳥居だ。神額には山王神社と書かれている。
境内というより、道脇に祠がある感じ。
社殿の周りには仏像や石碑が複数ある。
拝殿を覗くと、段が作られていて、石仏が2体、石碑が二基すえられている。石碑の字がよく読めない。
左の小さな石仏には光背がついているので、お釈迦様か。右手の大きな石仏は、山王神社なので最澄師と思う。
社殿というより小屋で、飾りはなんにもない。粗末ではなく、シンプルな山王神社である。
ネットで検索すれば、長崎の片足鳥居で有名な山王神社ばかり出てきて、古賀の山王神社に関してはなんにもヒットしなかった。
山王神社
山王とは、滋賀県大津市坂本の日吉大社で祀られる「大山咋神」(おおやまくいのかみ)を祀っていたものでの別名であり、比叡山に鎮まる神を指したものであり、山王信仰とは、比叡山麓の日吉大社(滋賀県大津市)より生じた神道の信仰である。ウィキペディア
こう書けば当然仏教なんだが、比叡山に天台宗の延暦寺ができてからは、大山咋神・大物主神は地主神として天台宗・延暦寺の守護神とされた経緯が有る。
つまり最澄にとって、「山王」とは山の地主神を仏教的に表現したものであるらしい。だから、神社だけど仏様も祀っているのだ。
そして、最澄による「山王」の扱いが、後に、神仏習合の「山王神道」の成立を導いていったともされるとある。
日吉(ひよし)神社・日枝(ひえ)神社、あるいは山王神社などという社名の神社は、日本全国に約3,800社ある。ウィキペディア
さすが、天台宗の最澄師。影響力がスゴイのだ。
まあ、複雑な説明はさておいて、長崎の外れにあるこの山王神社は、子どもたちが横を通りすぎていく道脇に有る。
どんな経緯で建てられたのか、いつ建てられたのかは不明だ。
祭神は一般的な大山咋神と大物主神だと思う。
この場所は高台にあり景色もいい。そして子供がいる。
この形が、この神社にとって最上の形だと思う。
人がいるから神様が存在するからである。