諫早十二支公園(寅)青岩と観音の滝 御手水(おちょうず)観音

諫早市御手水町1643-2 御手水(おちょうず)観音

諫早市内からスタートするとバイクだと20分もかからない。高来方面に進むのだが、JRの東諫早駅から多良獄の裾野を登っていくと一本道である。

案内板

御手水観音への道

御手水観音の磨崖仏群

磨崖仏群

磨崖仏群

磨崖仏群

青岩と観音の滝

舗装された山道を登っていくと、左手に御手水(おちょうず)観音の看板が出ている。

ジクザグになった道を少し行くと御手水観音の磨崖仏群という大きな案内板があり、そこから左手の岩を見ると、磨崖仏が多数彫られている。後で調べると49体の磨崖仏があるという。

左右に鬱蒼とした高い杉の木の道を行くと広場に出る。

仏像群

滝に打たれる

御手水観音

左手には複数の仏像群があり、その奥の崖には幾つもの滝が流れている。

岩から伝わっている清水が下に落ちて、周りはひんやりとしている。そのもっと奥には二本の滝筋があり、そこには不動明王が祀られている。

更にその奥、広場で言えば左正面には大きな滝筋が流れ落ちていて、その足元には池が作られていて、右手には弘法大師の像が複数建てられている。

広場の右手には、二棟の建物があり、その一つは、そうめん流しができる施設のようだ。広場にも青いビニールシートが被された丸いテーブルがあり、夏場は使われるのだろう。

弘法大師

仏像

仏像

観音堂

観音堂

観音堂

右奥にはお堂があり、御手水観音と書かれたノボリが建てられている。

拝殿の中の奥中央には、仏壇の上に金色の千手観音が鎮座されている。

観音堂

千手観音

御館山神社所蔵の由来記に「開基は何れ之代と言ふ事を不知、堂前に瀑布有、岩面に至徳2乙丑歳(1385)と銘す、上に千手、不動、毘沙門3尊の種子在り、今現に見ゆ」とあり、中世以前からの霊場であることが判る。

という事は、左右は不動明王、毘沙門天が祀られていることになる。これは千手観音を守るために祀られているのだろう。

神社ばかりを巡っているのだが、この御手水観音に来たのは、お堂が神社のようだからである。

鳥居はないが、入り口に幟を立てる石柱がある。

入口の左右には石灯籠があり、拝殿入り口にはしめ縄が張られている。

しめ縄が張られているということは神社と言ってもいいと思うのだが。

神社とお寺の違い

ひと目で分かる部分として、鳥居があり、屋根の素材や形がある。

しめ縄も本来神社で使われ、その由来も天照大神の岩戸神話から来ているという説が多い。

だが神仏習合と言われる様式が、千年以上も続いてきた日本では、神社仏閣の境を決めることが難しいお寺も多い。

現に立派なしめ縄を張っているお寺は多い。

また神宮寺の存在もある。

神仏習合が受け入れられると、神宮寺が出来た。本来は神社に付属して建てられ、仏教施設や山内寺院として建てられている。

多良岳で有名な金泉寺も神宮寺である。

山岳信仰は色んな要素が持ち込まれ、神仏習合だけではなく、土着信仰や道教さえもが練り込まれている教義すらある。

御手水観音堂を神社のようだと感じたのは、多分間違いないが、神宮寺を神社というのは間違いだろう。

郡部や山の神社をめぐると、神社と寺が、ごちゃまぜの施設も多い。

明治維新の神仏分離政策も、ごちゃごちゃ感を更に助長したような気がする。

しかし、それも又日本の信仰だと思うようになった。

観音堂

観音堂

観音堂

 

 

コメントを残す