白原町 羅杵尼(らぎに)神社 神社名の意味が不明

白原町 羅杵尼(らぎに)神社

羅杵尼神社

羅杵尼神社

国道207号線を佐賀方面に進み、JRの肥前長田と小江の間くらいに、Aコープ白浜店があり、そこの角を山方面に登る。

グーグルマップでは到着しているのに、鳥居が見えない。周りは畑ばかりである。少し回り込んで探していると、人家の間に道があり、そこを行くと行き止まりで、右手に広場がある。

よく見ると、その広場の奥に赤い鳥居が見えた。

この広場が、道より低い場所にあり、神社の周りにある木でわからなかったのだ。

広場の左奥には鉄棒があり、公園のようになっていて、フットサルくらいはできそうな広さだ。

羅杵尼神社

羅杵尼神社

神社の鳥居は真っ赤で、扁額には羅杵尼神社と書かれている。

その奥には、コンクリートブロックで囲まれ、神社形式の屋根が付けられた祠があった。

中には、大きめの石が中央に一つと左右に一つづつ計3個祀られている。その前にも自然石が置かれ、天照大神の御札が挟んである。

祠の左手には、顔と手がたくさんある古い仏像。祠の右手には小さめのブロックの祠の中に、石仏が二体、前掛けをして祀られていた。

さて、羅杵尼神社の羅杵尼とは何のことだろうか。

左手側には少し怖い顔をした、多面多手の馬頭観音。右手側には石仏だ。

という事は、結構意味のある石だということになる。

普通だと、道祖神かと思うのだが、鳥居まであるとすれば違うような気がする。

地元の人は「だげんさん」と呼んでいるという情報があった。ますますわからなくなってしまう。

ただ、この自然石には天照大神の御札があった。

羅杵尼神社

左側の石像 馬頭観音

右側の石仏

これらを整理して推理したい。

羅杵尼という名称は、よく知られている神様ではない。インド系や密教系の漢字だ。

羅という字は、薬師如来に従う当たる12人の夜叉の守護神につけられる。宮毘羅(くびら)、伐折羅(ばさら)、因達羅(いんだら)など、「羅」で終わる名前の神々で構成されている。

しかし、今回は最初に羅がついているので違うだろう。

杵は餅をつく杵である。尼は女性の坊さん。これでは意味がわからない。

一番近いなと思ったのは、荼吉尼天(だにきてん)だ。

荼吉尼天(ダーキニー)

本来、インドではダーキニーはシヴァ神の暗黒の妃カーリー女神の従者で、人の肉を食べ裸で空を飛ぶ魔女的存在でした。仏教では大日如来によって改心したとされ、大黒天の従者ともされました。

後期密教では、ヒンドゥー教のシャクティーや母天(マートリカー)に対応する存在として、気のエネルギーや霊的な智慧と考えられるようになり、仏母的な存在にまで昇格しました。中国では「空行母」と訳されます。

日本では稲荷・狐信仰や、修験者の天狗信仰と結びついて広がりました。また中世には、天照大神の化身と考えられて、天皇の即位灌頂の主尊にまでなりました。本来は鬼女の姿で現れましたが、狐に乗って如意宝珠を持つ天女の姿で描かれるようになりました。日本仏教の中で暗黒の側面を持つ女神が、荼吉尼天と鬼子母神です。

羅杵尼の祭神の石の所に天照大神の御札が挟んでいた。なので、荼吉尼天の天照大神の化身とされていたという所も引っかかる。又赤い鳥居も稲荷風で、稲荷っぽいからだ。

高天神社

もう一つ、この神社を海側に下ると、近くには高天神社がある。

この神社の御神体は石だった。

高天神社 東長田村大戸尾(現在の諫早市高来町深海)の海辺の巨石(現存する)に、霊験あらたかな御神鏡が浮かび上がり、高皇産霊神と記されていたことから、諫早藩主に守護され、この地を高天宮とかまえて奉祀された。

この伝説に近いものがあるのかなとも思う。

ここまでだ。これ以上はわからなかった。

ただ、馬頭観音も祀られ、畑のどまんなかにあるので、農業の神様の意味合いもあるのだと思う。

いつか、情報が出てくるかも知れない。それに期待しよう。

広い農地の道筋にある、小さな神社。

この地域は、多良岳の麓なのでいろんな不思議な伝説が多い。

郷土誌にも載っていない、昔の話がたくさんありそうな地域でもある。

羅杵尼神社

 

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