大村木場 野田神社 出城の跡に建立

大村市木場1丁目936番地 野田神社

野田神社

野田神社

野田神社

野田神社 土俵

野田神社

野田神社 由来

高速の木場スマートICと大村公園を結んだ線上にあり、やや木場よりである。目の前を長崎街道が通り、野田神社前のバス停もある。

石垣に囲まれた広い敷地内にあり、低い石段を登ると一の鳥居だ。その先右手に土俵があり、ブルーシートで覆われている。

その先の石段を上がると社殿になる。やや小さい社殿は瓦葺きでお寺風。

拝殿前に由緒書の立て看板があり、拝殿入り口には鈴の綱が二本垂らされている。拝殿は板張りで、入口近くに賽銭箱、神殿入り口は格子戸で締められている。

社殿裏に回り込むと小さな神殿が付け足されている。

社殿左手には、石垣に囲まれた場所に鳥居が建てられ扁額には、八幡宮と書かれている。

その先には石灯籠と石の祠が三基祀られている。

野田神社 拝殿

野田神社 神殿

野田神社境内 八幡宮

敷地内には神木と思われる木があり、敷地内は緑で囲まれていて、敷地は二段で高くなっていて、社殿と比べると広い。

由緒書きを読むと、この場所は室町時代末期の戦国時代に、諫早街道を守る要地として、大村藩の出城ががあった場所と言う。

石垣と盛土の広い境内がある理由に納得。

現在の祭神は健御雷之男命となっている。

創建 1663年  祭神 摩利支天、弁財天、大黒天

寛文3年1663年当時の第4代大村藩主純長公は、夢枕に立った老翁の示唆を受け、現在地に小堂を建立し軍神摩利支天を中央に、左に商業の神弁財天、右に農業の神大黒天の三天を祭神本尊とした。当初は藩の天台宗本山園融寺の末寺と位置づけられ、「指月山園成院城東寺」と名付けられたが、1871年に野田神社に改称された。 郷土誌より

大村の地は、城下町で平地の神社は、大村藩関係が多い。

なので神様の由来など適当だ。

祭神に八幡宮、健御雷之男命、摩利支天など、強い神様を選んで祀っているのは、武士好みの証拠でもある。

武士が世の中に台頭してきた時から、神仏の扱い方がかなり変わってきている。

それはしょうがない事でも有る。

野田神社

野田神社

 

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