西彼町中山郷 中山神社 巨木クロガネモチがある

西海市西彼町中山郷字高堂2138番地 中山神社

国道206号線から長崎バイオパークへ行く道の先にある。中山川の川筋のそばにあり、距離的にはバイオパークと大村湾の中間ぐらいだろうか。

西彼町中山郷

中山神社

中山神社 一の鳥居

中山神社 三の鳥居

前が畑で、道路の道脇に一の鳥居がある。石段があり、一の鳥居のすぐ後ろに二の鳥居がある。その先の石段を登ると三の鳥居。そこから境内が広がっている。

瓦葺きで横長の建物。向拝はあるが貧弱である。正面は木枠のガラス窓で神社という雰囲気はない。
拝殿の中に鈴を吊るしていて、正面が神殿へ続く扉があるがしまっている。その上にしめ縄が吊るしていた。

拝殿内は板張りで、左手に和太鼓。鴨居の部分に大きな馬と虎の絵馬が左右に飾られている。

社殿の後ろに回り込むと、古いがしっかりとした神社形式の神殿があった。

その後ろの崖の上に自然石の石段を作って木製の祠があった。だが中にはなんにもない。

現在、祭神は大穴牟遅命となっているが、記録では天満宮も祀っていたとある。藤原天満宮は享保年中(一七三〇)志田喜兵衛の建立となっているとかかれているが、天満宮の跡はどこにもないようだ。

もしかすると、この木の祠が天満宮の跡かもしれないと思った。

中山神社

中山神社 拝殿

中山神社 神殿

神殿の後ろの祠

祭神の大穴牟遅命は大国様の事である。この神様はスクナヒコとともに日本中を回り、国を作ったとされている。

おそらく、この村の発展を願って、大穴牟遅命を祀ったのかもと思う。

旧中山村村社。
祭神は大穴牟遅命(大国主神・石座像・右拝殿)と天満宮(管 原道真・左拝殿)を祀る。寛永十四年(一六三七)創建、嘉永三年(一八五〇)と明治 十九年(一八八六)に社殿改築の記録がある。藤原天満宮は享保年中(一七三〇)志田喜兵衛の建立となっている。
一の鳥居(文化十五年1818)、二の鳥居(安政九年1780、三の鳥居(嘉永元年1848)と並び建つ。
昭和五十年(一九七五)の神殿補修の際に棟札が発見された が、「嘉永三年大村彦次郎(中山だんなん)以下氏子総代」と記されていた。
祭礼日は元日・新年祭、七月二十八日・夏越祭、十月十四日。 宮日祭、お籠もりは十二月十五日にとり行われている。

寛永十四年(1637)創建とある。

1637年といえば島原の乱が起こった年である。中山村の中山神社創建に何らかの影響があったかも知れないと思う。

中山神社

クロガネモチ

一の鳥居の脇に大きな木がある。クロガネモチと言うらしい。その木だけが印象に残った。

周りを山に囲まれた村落の神社だ。何度も修復されている。

村人から大切にされた神社と言ってもいいだろう。

中山神社

 

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