瑞穂町 古部熊野神社 近所に古墳、前方後円墳がある

雲仙市瑞穂町古部甲1489 古部熊野神社

古部熊野神社

古部熊野神社 一の鳥居

古部熊野神社 二の鳥居 天満神社と書かれている

諫早湾干拓堤防道路よりも東側に位置する。地図で見れば国道251号と島原街道が交わる地点みたいで、神社前をすぎると、また離れていっている。

国道から鳥居が見える。前には権現川という小川があり、入り口には由緒が書かれた看板があった。

古部熊野神社
瑞穂町古部岡部落前田地区に鎮座。旧村社 大正4年12月9日加列。創立年代不詳。幕藩時代、此の地は、神代鍋島家の領地で、古部村中、伏尾、岡、前田、上夏峰、下夏峰、道祖崎各名の総氏神として祀られる。

旧古部村時代、大正3年から4年にかけて、行政上、神社敷地内の合併と祭神合祀の命によって、熊野神社に、天満神社、稲荷神社、伏尾神社の祭神が合祀され、大正4年12月9日村社に加列。同月日を例祭日と決めて、今日に至っている。

主な祭祀に、お待ち籠もり祭り、別称『権現さん』や、地元の子どもが宮相撲を奉納する社日祭、祇園祭がある。

また、境内には、村政、学術に功した、平田秀一氏、中岡幾一郎氏の頌徳碑がある。

古部熊野神社 由緒

古部熊野神社

古部熊野神社

古部熊野神社

古部熊野神社

古部熊野神社 拝殿

古部熊野神社 神殿

この地域には熊野神社が多い。

熊野神社は、熊野三山の祭神の勧請を受けた神社である。有史以前からの自然信仰の聖地であった熊野(紀伊国牟婁郡)に成立した熊野三山は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての中世熊野詣における皇族・貴族の参詣によって、信仰と制度の上での確立をみた。(略)
熊野神社は、八幡神社・神明神社・稲荷神社と並んで全国的な分布を示していることが確認されている。ウィキペディア

大雑把に言えば、熊野神社は皇族・貴族、八幡神社は武士、稲荷神社は商人と分けられると思う。

という事は、推測だが武士が成立する鎌倉時代前に、栄え始めた地域とも。

由緒にも創立年代不詳とある。

海は有明海で干拓されていて、目の前には川がある。

また近くには7世紀中頃の柿ノ本古墳もあり、もう少し行くと、卑弥呼の墓とされて
いる守山大塚古墳がある。

この神社に、天満神社、稲荷神社、伏尾神社の祭神が合祀されているので、祭神は様々だ。

本来熊野神社は熊野三山の祭神である熊野権現を祀るのだが、柱の祭神が祀られて十二所権現、那智はさらに1柱多く祀られて十三所権現を祀る。

一般的には、熊野三山の祭神である神々をいい、特に主祭神である家津美御子(けつみみこ)(スサノオ)・速玉(イザナギ)・牟須美(ふすび、むすび、または「結」とも表記)(イザナミ)のみを指して熊野三所権現ともいう。

よく知られている名前で書けば、スサノウ、イザナギ、イザナミで、古いベーシックな神様を祀っている。

これも又、熊野神社をとらえどころのない神社にしている要因だと思う。

古部熊野神社 神殿横の石碑

川のそばに一の鳥居があり、手すりの付いた石段を登ると、二の鳥居の扁額には天満神社と言う名が掲げられている。

それを抜けると境内で、大きな土俵がシートを被せられている。その先に拝殿がある。

小ぶりの瓦葺の社殿で、壁面はガラス戸、その奥に塀で囲まれた瓦葺の神殿がある。

神殿の前にも石灯籠があるので、現在の拝殿は後から作られた物のようだ。

神殿の右には、自然石の碑が並べられている。

派手ではないが、総氏神という由緒ある雰囲気がある。

この場所に熊野神社があるというのは、重要なことだと思うのだが、古代の資料はなにもない。

気になる神社である。

古部熊野神社

古部熊野神社の石垣脇にある祠

古部熊野神社の脇にあるお堂

古部熊野神社

 

 

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