神代 淡島神社 ミニ鳥居と陰陽道祖神・熊野神社

雲仙市国見町神代甲505番 淡島神社

島原鉄道の神代駅から雲仙を目指す方向に有る。

この周りには神社が多い。神代神社、尾ノ上神社(大神宮)、温泉神社(四面宮)が近くに有る。

鍋島氏佐賀藩の飛び地、神代領で栄えた地域だからだろうか。

神代という名前は古代より各地に数多くあり、肥前国風土記の天皇の従者の名前が神代直(かみしろのあたい)という。

また、神功皇后遠征のとき、武内宿禰の武略知謀が神の如き働きをしたので、皇后は「神の代わり」との意味で「神代」の二字を授けたと伝える。その読み方は「くましろ」だが、昔は熊代と書いたのを後に神代に変えたという。

国見の神代氏とつながりがあるかは不明だが、この地域は古墳も多く古代史の謎がプンプンする場所である。

沖田畷(おきたなわて)の戦い

国見の神代は戦国時代まで神代氏が治めていた。

沖田畷(おきたなわて)の戦いで龍造寺隆信が島津・有馬連合に討たれ、龍造寺方の配下だった神代氏は善戦するも単独状態になってしまい、そこに付け入った島津方は、神代氏を滅亡させる。

その後、豊臣秀吉による九州平定を経て、功績あった佐賀藩の鍋島直茂が旧神代領を再獲得し、佐賀藩神代領として江戸幕末まで治める。

そんな地域に淡島神社はある。

グーグルのナビ通り、淡嶋神社に着いたつもりで鳥居を見ると、熊野神社と扁額には書かれていた。

熊野神社

淡島神社

ミニ鳥居

楠天満宮

その鳥居をくぐり、進むと熊野神社があった。

間違っているのかと周りを見渡すと、なんと淡嶋神社が左手に有る。

この熊野神社と淡嶋神社。別々の神社だが同居しているようにも思える。

 由緒
 粟嶋神社は 少彦名命を祭神として、文化9年(1812)、神代藩主第十代鍋島茂體公の時代に亀川出羽守忠英という人によって建立されました。
 社屋は幾星霜を経て 現在の社殿が平成4年3月に再建されました。
 淡島神社という名前は元来粟嶋神社の俗称として 親しまれた呼び名でしたが 今では通り名となり 全国各地の淡島神社と同様 縁結び 安産 子育てに 霊験があるとされ 特に女性の守神として厚い信仰を集め 淡島さんと親しまれています。

淡島神社

由緒を読めば、今から200年ほど前に建てられたことになる。

ただ、熊野神社がそばにあり、淡嶋神社の境内には、楠天満宮、道祖神がある。とすれば、元々この地は霊場だった場所だったのだろう。

境内は広くきれいに掃除がされていて、気持ちいい。社殿も新しく近年改築されたのだろう。

淡島さんだが、和歌山県和歌山市加太にある神社が大元で、全国にある淡島神社・粟島神社・淡路神社の総本社である。人形供養で知られ、境内一円に全国から奉納された2万体にも及ぶ無数の人形が並んでいる。

和歌山県和歌山市加太 淡嶋神社 ウィキペディア

淡島神は住吉神の妃神で、婦人病にかかったため淡島に流され、そこで婦人病を治す誓いを立てたとする伝承もあるが、これは、淡島が住吉大社の社領となっていたことによる後世の附会と考えられている。

つまり、伝承に関しては後付のこじつけだ。

アワシマというという名前の神様はいないが、イザナミイザナギの神生みの際、最初の子がヒルコ、そして二番目の子がアワシマという。

この二人は不具の子として、海に流された。

ところがヒルコは恵比寿神として復活、アワシマも淡島神として復活している。これは日本神話の重大な謎である。

その淡島さんは民間信仰として、女性の味方である。神社はだいたい海のそばにあり、アワシマが漂流神である証拠だと思う。

拝殿

淡嶋神社 本当は妊婦がミニ鳥居をくぐるのだが (^o^)

安産祈願

ここの淡島さんは境内の三基のミニ鳥居と拝殿のミニ鳥居が有名である。

ミニ鳥居をくぐると安産だというのは、参道と女性の産道がかけられていて、狭い産道をぬけて、生まれる赤ちゃんをイメージしている。

神社裏手

陰陽道祖神

このミニ産道の先、社殿の裏手に道祖神が祀られていて、覆いで隠しているが、立派な男根と女陰が祀られている。

子孫繁栄のシンボルで、産道の先に男根とは意味深長だ。

古代より、神社は仏教と違い性的な事に関しては、非常におおらかである。それは日本の神道の大きな特色である。

豊作を願い、子孫繁栄を祈る場所が神社である。

古事記に書かれている日本神話は大和朝廷が監修して作られたものである。

アワシマさんもまた、大和の神話から切り捨てられているが、大和の民は、復活させておおらかな信仰心で祀っているのだ。

神代の地に淡嶋神社が有ることは、古代の信仰が根付いていた証拠のような気がする。

拝殿

淡島神社

淡島神社

熊野神社

淡嶋神社の正面にある熊野神社

熊野神社

熊野神社の神殿

熊野神社 左手が淡嶋神社

祭神は素佐之男命(スサノウ)・伊弉冊命(イザナミ)、速玉男命(ハヤタマオノミコ)『日本書紀』の一書において黄泉国で伊邪那美神と伊邪那岐神が喧嘩別れをした際に、吐いた唾から生まれた神、事解男命(コトサカオノミコト)『日本書紀』の一書において黄泉国で伊邪那美神と伊邪那岐神が喧嘩別れをした際に、吐かれた唾(速玉男命)を掃きはらう神が事解男命とされている。

祭神を見れば、なぜこの四柱なのか意味がわからない。

スサノウとイザナミはわかるけど、速玉男命、事解男命は夫婦喧嘩で吐き捨てた唾と、それを掃除する事解男命はどんな意味があるんだろうか。

隣の淡嶋神社は子孫繁栄である。

深読みすれば、夫婦喧嘩しても仲直りをしなさいという意味か。

それとも、夫婦喧嘩は犬も食わない。

もしかして、捨てる神あれば拾う神あり・・・

祭神が不明な神社だ。

熊野神社の鳥居

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