西海町 三上神社 島原の乱の年に建てられたらしい

長崎県西海市西海町水浦郷506 三上神社

三上神社

三上神社

三上神社

三上神社

三上神社 拝殿

水浦郷が面している瀬川港内の、畑下港乗り場の西側の小山の頂きあたりにある。

人家の中を進み、家が途切れた行き止まりの丘の上にあった。

道は細いコンクリートで舗装された道で、鳥居が2つある。

手前の鳥居には観世音菩薩と扁額に書かれており、鳥居の奥には社が見えるのだが、参道らしきものがない。

その奥が三上神社の鳥居で、石段が三段階に作られ石段のコンクリートも新しい。上り切ると二の鳥居があり、その奥に神社がある。

境内は広いが周りとの境界らしきものはなく、一段高いところに社殿がある。

小さな拝殿は最近改修されたようで、プレハブっぽい雰囲気があり拝殿入り口はしまっている。

入り口の隙間から見ると、板張りの何もない拝殿で、神殿の前には桐の紋が付いた幕がかけられている。

近くにある佐久奈止神社と同じ神紋だ。

佐久奈止神社 五三の桐紋

観世音菩薩

観世音菩薩

観世音菩薩

近くに観世音菩薩を祀る社があり、この社はもっと小さいお堂で、神殿には曼荼羅らしきものが祀られている。郷土誌には1674年観世音堂は作られたとある。

三上神社の境内からは、港がよく見えた。

この神社に関して、ネットには祭神以外何も情報がなかった。

祭神は天御影命(アメノミカゲノミコト)とある。

刀鍛冶の神である。饒速日命が降臨した際に供奉した神々のうちの1人で、『先代旧事本紀』や『新撰姓氏録』などによれば、娘に彦坐王の妃となった息長水依媛が、11世孫に山代根子が、末裔に三上氏や凡河内直、額田部湯坐連、山直がいるとされる。滋賀県の御上神社では三上氏の祖神として祀られている。

天御影命は天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)と同じ神様らしい。

鍛冶の神であり、『古事記』の岩戸隠れの段で鍛冶をしていると見られる天津麻羅と同神とされる。神名の「目一箇」(まひとつ)は「一つ目」(片目)の意味であり、鍛冶が鉄の色でその温度をみるのに片目をつぶっていたことから、または片目を失明する鍛冶の職業病があったことからとされている。

なるほど。

ギリシア神話に登場するキュクロープス(サイクロプス)も同じく一つ目の巨人の鍛冶の神だ。日本神話とギリシャ神話は妙に似ていることを再発見した。

滋賀県野洲市にある式内社「御上神社(みかみじんじゃ)」は天之御影神を主祭神として祀っている。

珍しい祭神だし、この三上神社の名称も、御上神社から来たように思える。

西海町郷土誌にも詳しい由来は書いていなくて、大村彦左衛門が寛永14年(1637年)建てたのではと推測している。

大村彦右衛門純勝は、大村純忠、喜前(よしあき)、純頼、純信に使えた大村家の重臣で、家老として、御一門払いやキリシタン禁制など、江戸時代初めの大村藩の難題解決に尽力しました。中でも特に2代純頼公が急死し、大村藩はお取りつぶしの危機になったとき、幕府に掛け合い、大村家の存続を認めさせた活躍は有名です。大村市観光振興課HPより

佐久奈止神社も大村彦左衛門が建てたとされているので、同時期に2つの神社は建てられたのかもしれない。

しかし、祭神の天御影命が気になる。

郷土誌には天孫降臨の際に付いてきた神様としか書かれていないが、鍛冶の神なので、この地に製鉄が行われていたのだろうか。

また天孫降臨の時の神様だとあるが、瓊々杵命の天孫降臨ではなく、先に地上に降りてきた饒速日命の降臨した際に供奉した神様である。

もし大村彦左衛門が建てたのなら、なにか深遠な考えがあったかもと思う。

三上神社が建てられたとされる年は島原の乱が起こった年である。島原と西海町は遠く離れているが、横瀬浦のポルトガル船のこともあるし、大村彦左衛門が素早く反応したのかもしれない。

天御影命は武神としての崇敬もあり、滋賀県の御上神社の寄進者には「木曾義仲」、「源頼朝」、「足利尊氏」、「豊臣秀吉」、近江守護の「佐々木氏」が名を連ねているという。

大村彦左衛門はその事に反応したのかもと思ったりもした。

三上神社

三上神社

 

コメントを残す