沖縄 那覇への旅(4) 首里城公園と沖縄の歴史Ⅰ

自由時間は二日間だ。

こんな短い期間で、自分一人で色んな場所をまわるのは困難を極める。なので初めての場所は、観光バスに乗ることにしている。

今回も沖縄の観光バスに載った。

朝9時から午後4時までの観光で、バスガイドさんの話を聞きながら各場所をめぐるのは、一番効率がいいと思う。

観光バス

首里城公園

まずは首里城公園である。最近火災にあい、現在修復中なので、写真で有名な光景は見ることが出来ないのが残念である。

2022修理中 首里城

火事の前 正殿正面(2016年1月)ウィキペディア

首里城は、琉球王国中山首里にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスクの城趾である。 現在は国営沖縄記念公園の首里城地区として都市公園となっている。ウィキペディア

首里城 守礼門

首里城

修理中の首里城

修理しているものを展示   首里城

守礼門から入り、いくつかの門をくぐると広場に出る。ここにあの首里城がある。中に入るのは有料だったが、せっかくだから、修理中の首里城内をぐるりと廻る。

石の城壁と見晴らしの良さが印象的で、ここが山の上だということがよくわかった。

この城がいつ作られたのかはわかっていないとある。

この首里城は城として機能していた。外見を見るとやはり日本式ではない。この首里城が出来たのは14世紀だと言われているので、最初の王朝は中国との関係が強かったことがよく分かる。

沖縄の歴史を繰り返し読むが、独特の単語が多く、人名も馴染みがなく、なかなか頭に入ってこなかった。

なので自分なりに一つづつ調べていく。

首里城

先史沖縄時代

約1万年前までは大陸と繋がっていたとされる琉球列島。沖縄人がどこからやってきたのかは不明だが、南アジアや東南アジアに生息する動物の化石が発見されていることから、琉球列島へも動物を追って人類が大陸からやってきたといわれる。

沖縄県具志頭村(現・八重瀬町)で化石人骨が発見され、1万8000年前の人骨であることがわかった。「港川人」と命名され日本の旧石器人として世界的にも紹介された。

日本人の祖先は「港川人」? 旧石器時代、DNAで解析 朝日新聞デジタル

この事で、日本にも旧石器人がいた事がわかったのだが、港川人はアジア人の祖先の集団に属していたものの、縄文人や弥生人、現代日本人のいずれとも特徴が異なり直接の先祖でないことがわかった。

またDNAで調べると、沖縄本島と先頭諸島では違い、沖縄本島は日本、先頭諸島諸島は台湾やフィリッピンとされている。

沖縄本島は、南九州の縄文文化の影響を受けた貝塚文化があり、先島諸島は、台湾やフィリピンと共通の文化圏に属していたと考えられている。

沖縄の那覇と石垣島では祖先が違うということだ。那覇出身のバスガイドが石垣島の方言はさっぱりわからないと言っていたが、此の事なんだろう。

沖縄の古代

沖縄の弥生時代の遺跡からは、九州弥生時代の遺跡から出土する土器が多数発見されている。

時期的には、おおよそ紀元前5千年頃から、11~12世紀頃の、グスク時代の始まりまでとされている。

本土では、古墳時代から飛鳥、奈良、平安となるのだが、沖縄の気候のため稲作が定着しなかったので、平安時代の終わりまで、狩猟採集が続いていた。

それでも2~3世紀の試行錯誤段階を経て、6~8世紀頃に、ようやく沖縄の環境に適した農耕(陸稲)が完成したとされる。

本土で平安時代末頃の12世紀~15、16世紀にかけて初めて稲作農耕文化を持った、九州からの渡来人によってグスク時代が始まるとされる。

「琉球国では昔、アマミキヨ(琉球の国生み神話の男神)が、ニライカナイ(海の彼方の理想郷 ―神の国)から稲の種子を持ってきて、知念大川・玉城親田、高マシノマシカマノ田に植えた。これが水田の始まりという神話がある。

グスク時代

グスクとは沖縄、奄美諸島に残されている史跡のことで、多くの場合「城」と言う字が当てられる。

グスクという時代に様々な変遷をたどっている。

特徴的なのは、按司(あじ)という存在だ。

按司は、アジ、アンジ、アズなどと発音し、琉球諸島各地の方言に従い変化する。沖縄本島南部はアジと発音し、先島地方ではアズと発音する。アジは、もともと主(あるじ)からの転訛であると言われている(伊波普猷説)。それゆえ、漢字の按司は当て字である。ウィキペディア

按司 ウィキペディア

なるほど、「あるじ」が語源なら、雰囲気がよく分かる。

沖縄が農耕文化へと移り、社会を形成し、各地には按司(あじ)と呼ばれる実力者が出現し、グスクが築かれることになる。首里城もグスクである。

琉球王国及び冊封時代

1429年(室町時代 第6代征夷大将軍足利 義教)に尚巴志(しょうはし)が三山を統一し「琉球王国」が誕生し1879年まで約450年間にわたり存続した。

そして琉球王国は1429年に明皇帝から冊封を受ける。この冊封により、琉球という王国名と琉球王という爵位と尚という名字を賜った。

ここから親分子分の関係が出来たのである。

1609年に薩摩藩島津氏が琉球を侵攻

この時から、琉球は中国の清と日本のダブル支配を受けることになる。

1872年(明治5) 日本政府は琉球国を廃して琉球藩とし、中央政府の管轄とした。

1879年(明治12年) 明治政府は琉球藩を廃し、沖縄県を設置する旨通告。旧国王は東京移住を命じられ、日本の一県として措定された。これを琉球処分という。

これが、ざっくりとした沖縄の歴史である。

その後の話はまた後ほど書くとして、南国の沖縄は、中国と日本の板挟みにあっているように見える。

首里城の城壁と那覇の風景はあまり変わっていないと思う。

ただ、これだけが沖縄ではない。

次は文化面を調べる必要がある。

首里城

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