沖縄 那覇への旅(13) 世界遺産の斎場御嶽

観光バスは、ひめゆりの塔を出発、そのあと物産館のようなスーパーに乗客を連れていき、それでおしまいだった。

金額も程々で、ガイドさんの話も聞け、余計な場所もあったが良かったと思う。

その日は歩き疲れで、ホテルの近くの食堂で食事を済ませ、早々に寝る。

さて、本日が那覇最終日で、夕方飛行機に乗る予定。

今日のスケジュールはレンタカーで聖地と神社巡りだ。

ホテルをチェックアウトして、レンタカー会社に行く。当然ネットで予約済みだ。

普通の軽を頼んだのだが、喫煙車は少ないらしくレンタル料も高かった。そこは不満である。

那覇の道路は都会の複雑さで、ナビ頼りである。

レンタカー会社社員のナビ設定ミスで、最初違うところへ連れて行かれそうになったが、途中で気づき、南城市知念に向かう。

南城市知念

斎場御嶽

駐車場

歩いて斎場御嶽へ行く

斎場御嶽の入口

斎場御嶽(せーふぁーうたき)は沖縄県南城市知念にある史跡。15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされる。「せーふぁ」は「最高位」を意味し、「斎場御嶽」は「最高の御嶽」ほどの意味となり、これは通称である。正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」という。ウィキペディア

2000年12月、首里城跡などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

沖縄最大の聖地ということで、那覇から1時間ほどで駐車場につく。それからは歩きで、15分程で入り口につく。

2007年より観覧が有料化になっていて入場券300円を駐車場で購入しなければならない。

斎場御嶽の事務所で見せられるビデオ

入場すると、小さな別室でビデオを見せられた。

訪れる観光客の大幅増加により、マナー違反の観光客が増加したりしており問題となっているらしく、その対策のようだ。

入口の扉が開き、山の中の道をあるき出す。

何箇所か礼拝所らしき岩場があり、3つの拝所が集中する最奥部の三庫理(さんぐーい)へ着く。観光の団体が先にいて、少し待ってから写真を撮った。

大岩の間に二等辺三角形の隙間があり、その奥が祈りの場らしい。

かつての三庫理は三方を岩壁に囲まれた空間だったらしいが、近世になり岸壁の一部が壊れて、現在の形になったらしい。

感想だが、「ふーん」と思った。別に馬鹿にしているわけではなく、ここがそうなんだという気持ちである。

どうも観光パンフレットやホームページの書き方が大仰過ぎるせいでもある。

王国最高、聞得大君が管理、男子禁制、琉球開闢伝説・・・

確かにそうだったろうが、僕が感じたのは山の中の、大岩の礼拝所だということだ。

霊気あふれるとか、心が洗われだとか、テレビのグルメリポーター並みの美辞麗句が、逆にこの場所を貶めている気がする。

斎場御嶽の道

斎場御嶽の礼拝所

斎場御嶽の礼拝所

三庫理(さんぐーい)

三庫理(さんぐーい)

この地が聖地となったのは、15世紀から16世紀の琉球王国、尚真王時代である。

尚真王(しょうしんおう)は、琉球王国第二尚氏王統の第3代国王で、初期の頃は幼少であり、母后が政務を見ていたという記録が、当時琉球に漂着した朝鮮人の記録にも見える。

50年にわたった尚真王の最大の事跡は、中央集権体制を確立し、第二尚氏王統の権力基盤を安定させたことであるらしい。

琉球王国では、権力争いが頻繁にあり、それに信仰が絡んでいる。

神女と按司という神職者がいて、日本流に言えば、巫女と地域豪族の首長といった所か。

尚真王の時代は神女が謀略で力を持ち、神祇面での中央集権化も行われている。

この政局のせいで、斎場御嶽の聖域化は大きく進められたと思える。

沖縄の信仰

琉球の信仰について色々調べたが、稲作が始まり、豪族が誕生する時期が、日本より千年ほど遅い。

さらに中国との親分子分の関係も強く、日本のような神道や仏教は、根付かなかったと思える。

特に仏教は、琉球王国時代における仏教は国王、王族や士族の一部が崇拝するだけだった。

神道だが、琉球の信仰は日本の神道とよく似ていて、自然、祖先崇拝なので琉球神道と呼ばれている。

琉球神道(りゅうきゅうしんとう)は、古琉球および琉球王国を中心に信仰されてきた多神教宗教である。日本神道と同様に、固有の教典や具体的教義、開祖を欠いており、神話、自然崇拝のアニミズム的かつ祖霊崇拝的な宗教である。ウィキペディア

沖縄は島国であり、各島でガラパゴス化しているようで、いろんな学者も一言で言い表せないようだ。

民俗学者の折口信夫は著作「琉球の宗教」の冒頭で、琉球の宗教を袋中以来の慣用によって琉球神道の名で話を進めたいと断った後、琉球神道は日本本土の神道の一つの分派、あるいはむしろ巫女教時代のおもかげを今に保存していると見る方が適当な位であると述べた。

鳥越憲三郎は『琉球宗教史の研究』の中で、琉球宗教の二大潮流をなすものは御嶽信仰と火神信仰であるとし、やがて火神(ヒヌカン)は日神(テダ)と同一視され、按司(アジ)や国王の実権の所在を表徴する役割を持つに至ったと述べている。

宮里朝光「琉球人の思想と宗教」によれば、琉球の固有宗教は、個人的な幸福を祈願するのではなく、社会及びそれを支える生活や生産について祈願し祝福するもので、社会が平和になれば個人は幸福になれると考えたのだと言う。

今回訪れた斎場御嶽(せーふぁーうたき)だが、大岩が斎場の場所であり、日本の神道のはじまりとされる世界遺産「神宿る島」宗像、沖ノ島の信仰の形態とよく似ているように思われる。

沖ノ島信仰が4世紀後半からと推定されているので、斎場御嶽とはかなり時代が違う。

ただ、琉球王国によって信仰が整備されたとはいえ、古代の母系社会や女性上位社会と有様を伝える、古代信仰の形式がベースになっていると思える。

斎場御嶽

なかなか難しい。調べてみても、すんなりと頭に入ってこなかった。

ただ、本土と同じ様に自然信仰がベースになっている事だけはわかった。

そして、中国の影響や本土の影響を受けながら、独自に発展してきた自然信仰と祖先信仰が、現在でも行き続けていると思う。

なので、神様、仏様だらけの本土日本人には、ピンとこないのだろう。

建物が一切ない聖地は、やはり物足りない思いが残る。

そんな思いが残った場所だった。

斎場御嶽 神聖な水

コメントを残す