西彼町小迎 志賀海神社 昔は毘沙門天王を祀る

〒851-3422 長崎県西海市西彼町小迎郷3671

しかうみ神社と読む。202号線を外れ、マップのとおり進んでいると海岸に着く。

志賀海神社

志賀海神社 一の鳥居

志賀海神社

神社はそこにあった。

道路の右手の小山に参道があり、鳥居、灯籠の先に、左右二つの石碑があり、左手には志賀海神社、右には、毘沙門天王と金色で彫り込まれている。

更に急な石段は続き、上り詰めるとやや広い境内の先に、石垣の上に瓦屋根の拝殿があった。

周りは、低い瓦屋根付きの白塀でぐるりと囲んでいる。

拝殿の正面は、全面ガラス戸で、そこから中を除くと、神殿と仏壇の棚が作られている、神仏混合スタイルである。

右手の正面には、奉納金を記した額がたくさん架けられている。畳敷きで、お寺の集会所のようである。

拝殿左手には、大きな天満宮の牛の石像があり、そこから海岸がよく見える。

志賀海神社

志賀海神社

志賀海神社 拝殿

志賀海神社 神殿

 

祭神は綿津見神。

図書館に西彼町の歴史があったので転載する。

志賀海神社
小迎郷下小迎の海岸に建つ。大村藩家老で小迎郷を知行地とした浅田求之助の建立である。
祭神は毘沙門天王、神体は木製の立像で、慶安元年(一六四 八)の建立である。
村中で祀ったが、明治初年(一八六八)の神仏分離令で実相寺に移され、志賀海神社となった。
現在は右拝殿に表筒男之命、中筒男之命、底筒男之命を祀り、左拝殿に日蓮大菩薩、毘沙門天王、清正公大尊儀を祀る神仏混交の神社である。

神社の管理は各組毎に宮守りを指名して、行事一切をとりしきる。祭礼は一月・初祓祭、七月・夏越祭、十月 (旧暦九月九 日) ・宮日祭、十一月二十八日・神待祭、十二月は願成就祭と続く。

家老が作ったので、どこか屋敷風なんだろう。

志賀海神社

志賀海神社

志賀海神社

志賀海神社脇の祠

それにしても、祭神がてんこ盛りである。大村はキリシタン大名だったので、逆に日本の神様、仏様を目一杯祀った気がする。

福岡の志賀海神社との繋がりがよくわからない。

明治政府の神仏分離令は、酷な法律である。

これまで、神様仏様を一緒に祀っていたのだ。無理やり別居させて、名前を変えろという。

村人は毘沙門天王をこれまで祀っていたのだ。

綿津見の神様にしても、戸惑うだろうと思う。

まあ、日本の神様と仏様はどこかで繋がっているので、村人は納得したのかもね。

 

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