西彼町 八木原天満神社 源氏ゆかりの神社か?

長崎県西海市西彼町八木原郷1803

八木原天満神社

八木原天満神社

海岸沿いの国道206から脇道に入り、山の方へ行く道の出端にある。内陸の方にはハウステンボスカントリークラブがあるようだ。

一の鳥居の右脇に立て札があり、西海市指定天然記念物(2000年2月10日、「八木原天満宮の社叢」の名称で境内林全体を一括指定)の説明がある。

他のホームページにも八木原天満神社のクスノキが巨木で掲載されている。

石段の参道を登ると二の鳥居があり、更に登ると境内だ。意外と広い。正面にはしっかり盛られた土俵があり、その先に、古いが瓦屋根の立派な社殿がある。

境内をぐるりと見ると、鎮守の森があり、巨大なくすのきが何本もそびえている。

拝殿はきれいで、神殿は2つに分かれている。

左手は仏式で右手が神式の祭壇。

天満宮という名前なので、祭神は菅原道真のはずだが、他にも仏様を合わせて祀っていたのだろう。

八木原天満神社

八木原天満神社

八木原天満神社

八木原天満神社

由来が郷土史にあったので掲載する。

天満宮

八木原郷白浜、大西海農協大串支所の裏で、大楠、椎の繁る森にある。
祭神は南無自在天神(菅原道真)、南無観音清正公(加藤清正)で神体は木座像である。
『郷村記』によると、貞享元年(一六八四)福田十郎左衛門の建立となっているが、古くは志田三郎を祀ったらしい。また、 佐々木家の先祖が大村から迎えていた祭神を八木原氏が承け継 いだという伝承もあるが定かでない。
八木原郷の鎮守で、現社殿は大正八年(一九一九)に新築されたが、昭和三十六年(一九六一)に国道二〇六号線の新設にして伴い、旧県道脇の鳥居を現在地に移した。 祭礼日は旧暦九月二十五日が宮日祭である。

1684年福田十郎左衛門の建立とある。

西海市西彼町など大村藩の管轄の地域では、1600年以降に建てられたとする神社が多い。

それ以前にも、人々は住んでいて信仰もあったのに、1600年以前の記録がない。

キリシタンによる神社打ち壊しのせいだろうか。

郷村記には古くは志田三郎を祀ったらしいとある。

志田三郎を調べてみると、源 義広(みなもと の よしひろ/志田 義広 しだ よしひろ)の事で、平安時代末期の武将とあった。

という事は、このあたりは源氏ゆかりの場所なのだろうか。

大村氏の始まりは不明な部分が多いのだが、藤原純友の孫藤原直澄が正暦5年(994年)に伊予国大州より肥前国彼杵郡大村(長崎県大村市)に入部して大村氏を称したことに始まると伝えられている。

忠澄の代に源頼朝に仕え、鎌倉時代に藤津、彼杵2郡の地頭職について在地掌握を強めた。大村家信が1289年(正応2年)に元寇の恩賞として肥前神崎荘の田地3町と屋敷を与えられており、このことから同氏が元寇に参戦していたことが分かる他、同氏が鎌倉御家人であった可能性も示されている。

なるほど。

源氏といえば八幡様なのだが、ここは天満宮である。

郷土史には、祭神は南無自在天神(菅原道真)、南無観音清正公(加藤清正)とある。

さてどんな由来があるのだろうか。

立派な神社なので由来はあるはずなのだが、ネットにも郷土史にも書かれていなかった。

残念だ。

八木原天満神社 神殿

八木原天満神社

八木原天満神社

八木原天満神社

 

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