川棚町 豊姫神社

豊姫神社 一の鳥居

豊姫神社

豊姫神社

長崎県東彼杵郡川棚町白石郷1296

東そのぎから川棚までの国道205号線沿いに一の鳥居がある。

神社はかなり海沿いで、この鳥居を下って、更に二の鳥居があるようだ。

現在は道路が整備されていて、豊姫神社の近くに川棚町整備のトイレ付き駐車場がある。

神社は古くなく、近年補修があったようだ。

境内左手には馬頭観音や八幡大菩薩の碑がある。

そのもっと奥には日蓮宗のひげ文字で書かれた石碑が立っている。

豊姫神社

豊姫神社

豊姫神社

豊姫神社 神殿

祭神は豊玉比賣命とある。

ただ、川棚の郷土史を調べても、ネットにもその由緒が書かれていなかった。

このあたりには人家もあまりなく、海の直前の小高い丘の上である。こういう場所には普通金毘羅様が立っているのだが、ここは豊玉比賣命だ。

もちろん豊玉比賣命は、龍王の娘で海の神様である。

ここにあってもなんの不思議はないのだが、その事だけが気になった。

さらに豊姫と書くと、神功皇后の妹という話もあり、佐賀にはヨドヒメ神社があり、福岡県には豊姫をまつった神社がおおくみられる。別名に淀姫,玉妃命とも言う。

なので、単純に海の女神、豊玉比賣命の事だけではないのかなとも思う。

さらに、邪馬台国の二番目の女王もトヨという。邪馬台国と何か繋がりがあるのかもと思う。

豊姫神社

豊姫神社

川棚町 豊姫神社” に対して2件のコメントがあります。

  1. アケミサトウ より:

    初めてコメントいたします。先ほどYoutubeで「時間探偵 杵築大社が出雲大社と改名した理由」を拝見いたしました。大変興味深い内容でした。一点だけ気になる点があったので、こちらに書き込みをさせていただきました。動画中に登場しました杵築市は、元々木付氏が統治していた木付藩が由来です。幕府の誤記が原因で現在の「杵築」という表記に変わったのはその通りです。改名前の表記である「木付」藩は木付氏が由来です(現在も子孫の方が「木付」の姓を名乗っておられます。)ので「もともとが杵築だったのでは」という指摘は当たらないのではないでしょうか。ご存じかもしれませんが、杵築市の奈多八幡は宇佐八幡宮のご神体の菰枕を海に流す神事が行われるなど宇佐八幡宮とのご縁が深いお宮です。宇佐様のご神像が新しいものと取り換えられると、古いご神像が宇佐様から奈多様に下げ渡されています。出雲と宇佐の関係や宇佐から国東半島一円の歴史には大変興味をそそられます。しかし幕府の誤記が、出雲大社と関連づけた意図的な行為とは思えないのですが…。

    1. artworks より:

      ご指摘ありがとうございます。もっと深い事実があるのかも知れませんね。再度調べ続けていきたいと思います。

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