諏訪神社の強力な神様たち

長崎諏訪神社

長崎には総氏神として諏訪神社がある。

そして諏訪神社には三柱の神様が鎮座している。

歴史的経緯を辿れば、1550年代、長崎には諏訪神社、住吉神社、森崎神社があったが、キリシタンによって破壊されてしまった。

これを再興したのが、初代宮司となる唐津の修験者・青木賢清で、1625年に現在の地に建立された。そして現在に至る。

ここまでは良いのだが、友人に「諏訪神社の神様は?」と聞くと、「諏訪の神様」と答える。

間違いではないのだが、みんな「祭神」のことには興味がないのだろう。

という事で、老婆心ながら祀られている神様の書いていく。

鎮西大社 諏訪神社 | 【公式】オフィシャルサイト
https://www.osuwasan.jp/

 

三柱のお神輿

諏訪の神

建御名方神(たけみなかたのかみ)

ホームページを見れば書いているのだが、諏訪神社に鎮座しているのは三柱の神様である。

主祭神は諏訪大神(武神・厄除けの神)と正式に書いているので、「諏訪の神様」でも正解だったのだ。

正式には、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)と書かれている。

八坂刀売神は建御名方神の奥さんである。

ただ、記紀神話には見られない神であり、諏訪固有の神とも考えられている。「八坂刀売神」の名前の由来も不明だ。

諏訪は長野県だが、建御名方神は出雲の出身である。

父神は、超有名な大国主神(オオクニヌシノカミ)だ。

出雲の国を譲る際、天照大御神の使者である建御雷神(タケミカヅチノカミ)に最後まで抵抗した武神とされている。

しかしこの話は、日本の正史である『日本書紀』には載っていなくて、『古事記』にしか登場しない神様である。

『日本書紀』に載っていないのに、建御名方神がなぜ戦国時代に敬愛されていたのかといえば、それは「甲斐の虎」武田信玄の影響である。

最強と謳われた武田軍団が諏訪神を奉じたことで、「建御名方神=勝負に勝つ神」というブランドが確立された。

それ以前にも、鎌倉幕府の執権・北条氏も諏訪神を深く信奉し、元軍が襲来した際、諏訪の湖から大きな龍が現れ、西の空へ飛び去って神風を吹かせたという伝説がある。

まあ、武士が好きな神様だったのである。

長崎のキリシタンは攻撃的で、長崎の神社仏閣を焼き払い、神主や住職を追いかけ回していたとされているので、強力な戦神を諏訪神社に勧請したのである。

住吉の神

もう一柱は住吉の神である。

一般的には底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)という。

兄弟かどうかは不明だが、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国の穢れを落とすために、阿波岐原(あわぎはら)で禊(みそぎ)をした際に誕生したとされる。

海の中で生まれたので、航海安全の守護神とされている。

全国に約2,300社ある住吉神社の総本社が大阪市住吉区にある住吉大社で、長崎にも、住吉地区に住吉神社がある

対馬 豆酘の港

三柱の筒男だが、対馬に「豆酘(つつ)」という港があり、その地が発祥だという研究者も多い。

長崎は港町なので、武力の建御名方神、航海安全の住吉神を揃えたのだ。

森崎神社

問題なのは森崎神社である。

ホームページには「万物創生・縁結び」と書かれていて、祭神が伊邪那岐神(いざなぎのかみ)、伊邪那美神(いざなみのかみ)とされている。

私は長崎生まれだが、森崎神社は全く知らない。

ほとんどの人がそうだと思う。

郷土史家の中には、前の県庁の場所(江戸時代の長崎奉行所西役所跡)を森崎と言い、そこにあったキリシタンの教会を壊して神社を建てたという伝承があるという。

そして、キリシタンを多く殺害したので、その供養としているのだという。

まあ、仏教ではないので神様に「供養」という概念はないと思うが、長崎で暴れて神社仏閣を打ち壊したキリスト教を怨霊と見立てて、神にして祀る「怨霊信仰」と考えれば、そうかも知れないなと思う。

森崎神社の祭神は、伊邪那岐神、伊邪那美神である。

旧約聖書で男女二人の神といえばアダムとイブである。

そして長崎で殉教したキリシタンは、ほぼ全員が日本人なのである。

その人たちを憐れむのは日本人的だと強く思う。

伊邪那岐神(いざなぎのかみ)、伊邪那美神(いざなみのかみ)

以上が諏訪神社の祭神である。

 

おさらいをしよう。

諏訪の建御名方神(たけみなかたのかみ)

住吉の底筒男命、中筒男命、表筒男命

そして森崎神社の伊邪那岐神、伊邪那美神

長崎の地に客人が訪れ、諏訪神社を案内したなら、さらりと解説してあげよう。

きっと喜ばれますよ。

 

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