造反有理(ぞうはんゆうり)という言葉の危険さ

「造反有理(ぞうはんゆうり)」とは、「無法な権力に対して反抗することには、正当な理屈がある」という意味の言葉である。

中国の文化大革命(1966年~1976年)において、毛沢東が若者たち(紅衛兵)を煽動し、既存の権威や秩序を打ち破らせるために掲げたスローガンとして非常に有名です。

中国は「亜文革」時代に突入した:日経ビジネス電子版

 

1950年代に生まれた人なら、佐世保の安保闘争を覚えている人は多いだろう。

そのデモのプラカードに「造反有理」と書かれていたことを思い出す。

私も高校生だったが、ノンポリ(主義主張がない)だったので、あまり共感できなかった。

「平和」を掲げながら、なぜ警官隊と殴り合うのか、私には理解できなかったのだ。

1960年6月18日、国会前に押し寄せる抗議者

正しければ何をしてもいいのか

哲学者のマキャヴェッリは「結果が良ければ手段は問われない」といった。

共産主義の創始者たちは、歴史を動かす力として暴力を位置づけた。

マルクスは『資本論』の中で、「暴力は、新しい社会をはらんだあらゆる旧社会の助産師である」と述べている。

「歴史を前に進めるため」という、より大きな目的のために暴力を正当化したのだ。

ニッコロ・マキャヴェッリ

 

現代社会の「造反有理」

インターネットやSNSが浸透している現在でも、「造反有理」は多数見かけるし、社会問題にもなっている。

ネット画像で、道路を封鎖したり、美術館の絵画に液体をかけたりする過激な抗議活動をよく見かける。

これは、「大義(理)があるのだから、実力行使(造反)は許される」という考えだろう。

ネットの書き込みで「社会的に許されない言動」をした人物に対し、集団で批判を浴びせ、職や社会的立場を奪う動き(キャンセル・カルチャー)というのがある。

特に、匿名なので気軽にその行為に踏み込んでしまう人は多い。

戦いとは「自分の正義」と「相手の正義」のぶつかり合いなのだ。

 

テレビで流れる政治的な運動も、「造反有理」の影が見え隠れをしている。

「平和」という美名のもとに、色んな団体が色んな活動をしている。

平和記念像

長崎は被爆都市だから、「平和学習」というのがある。

中には行き過ぎた行為があるのを時折見かけてしまうと、非常に残念に思う。

この話には結論はない。

結局、人間という存在は、そんな存在なのかもとも考えてしまう。

 

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