内容が複雑な山王神社(坂本) 長崎10社巡り

長崎市坂本にある神社で、一本柱鳥居と被爆した楠が有名である。

被爆した事が盛んに取り上げられているが、肝心の神社の由来を調べてみた。

神社の由来

1638年(寛永15年)、島原の乱の鎮圧のため長崎に赴いた松平信綱が、浦上街道(長崎街道の脇道)沿いの地を通りがかった際、その景色が近江の比叡山に似ており、地名も比叡山の鎮守である山王権現(現日吉大社)の鎮座地坂本(現滋賀県大津市坂本)と共通することから山王権現の勧請を思い立ち、長崎代官の末次平蔵と計って「山王神社」として創祀されたと伝わる。ウィキペディア

山王神社

 

山王信仰とは

「山王(さんのう)」という言葉は、もともと日本の神様の名前ではなく、仏教(天台宗)の言葉。

最澄が中国(唐)の天台山で修行した際、その山を守っていた神が「山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)」と呼ばれていた。これにちなんで、比叡山の神様も「山王」、あるいは「山王権現(さんのうごんげん)」と呼ぶようになったのが始まりだという。

山王元弼真君は伽藍(寺院の建物)や宗派の教えを守る「護法神(ごほうしん)」として祀られていた道教・仏教系の神様だという。

最澄が修行した天台山の国清寺には、山や寺を不浄や災いから守る守護神として「山王元弼真君」が熱心に祀られていた。最澄はこれに強い感銘を受ける。

帰国後、最澄は比叡山に延暦寺を建立するが、その際、「中国の天台山に『山王元弼真君』という偉大な守護神がいるように、この比叡山にも相応しい守護神が必要だ」と考え、もともと比叡山の麓に鎮座していた地主神(現在の日吉大社の神々)を、この中国の神になぞらえて(見立てて)尊崇し、「山王」あるいは「山王権現」と呼び変えて延暦寺の鎮守神としたという。

つまり、最澄は中国の守護神を真似して、自分が作った比叡山の守り神にしたという事である。

その時、比叡山の麓に古くから鎮座していた地主神は、もともと大山咋神だった。

しかし、比叡山は昔から「ひえのやま(日枝の山 / 日延の山)」と呼ばれていた。

大山咋神について古事記に「此の神は近淡海国(滋賀県)の日枝山(ひえのやま)に坐す」と明記されている。

なので、日枝山(ひえのやま)の大山咋神が、日吉の神様なのである。

そして、大山咋神は山の王とも言えるので、山王権現としたのだという。

日枝は平安時代に、縁起の良い漢字として「日吉(ひえ)」の字が当てられる。

そして戦後、文字の読みに合わせて「日吉(ひよし)」が正式な名になった。

何とも複雑である。

もともと地元で愛されていた素晴らしい「伝統素材(ひえの神)」を見つけ出し、海外の最新トレンド(中国の山王信仰)と掛け合わせて、「山王権現(山王神道)」という最高峰の世界的ブランドへとリブランディングした総合プロデューサーが最澄である  GeminiAI

最澄

なるほど。

最澄が新しい信仰を生み出したという訳だ。

長崎の坂本町に鎮座する山王神社も、元を正せば江戸山王権現を、さらに辿れば比叡山の日吉大社を経由して、この中国・天台山の「山王元弼真君」という一柱の守護神へと行き着くことになる。

 

神社の由緒

さて山王神社なのだが、

大山咋神
大物主神
天照大御神
豊受比賣神

なんかバラバラである。

じつは、これもまた長崎の事情が絡んでいる。

最初は「大山咋神」「大物主神」などの山王権現だけだった。

だが、明治政府の宗教政策(キリシタンの改宗政策)の一環として、浦上(現在の山里小学校付近)に伊勢神宮の神々である「天照大御神」「豊受比賣神」を祀る『浦上皇大神宮』が建てられました。GeminiAI

しかし、その後、浦上皇大神宮は地元のキリシタン信徒からの参拝が得られず、さらに台風による倒壊も重なって衰退してしまいます。そのため明治17(1884)年、近隣の村社であった山王神社に皇大神宮が合祀(合併)されることになり、双方の神々が現在の坂本町の地で一緒に祀られるようになりました。GeminiAI

政府も甘かった。

神社というのは地元の住民で成り立っている。

だが、坂本町はキリシタンの地域なので、『浦上皇大神宮』というのは、完全に無視されたのである。

こうなると、神社は存続できなくなってしまった。

しょうがないので、山王神社に皇大神宮が合祀(合併)されることになったという訳である。

なので皇大神宮が祀っていた天照大御神、豊受比賣神は山王神社が引き取ったのだ。

山王神社(浦上皇大神宮)

原爆によって崩壊した鳥居

 

原爆の爪痕

山王神社が有名なのは原爆の爪痕がしっかり残っているからだ。

原爆の爆風を浴びて片側だけ残った「片足鳥居」

そして被爆クスノキ(大クス)がある。

神社の境内にそびえる2本の巨大なクスノキ(クスノキの巨樹)は、原爆の熱線と爆風により、木の幹は黒焦げになったが、幹の内部から新しい芽が吹き返し、現在に至っている。

これは長崎出身の歌手福山雅治氏が曲にしている。

なんとも、盛りだくさんな神社なのである。

片足鳥居

被ばくクスノキ

 

ユーチューブ

山王神社 ブログ文章
https://artworks-inter.net/2019/07/03/post-6447/

 

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