陶器鳥居 宮地嶽八幡神社(八幡町) 長崎10社巡り
中島川沿いの上流に向かって右岸、八幡町に鎮座する。
長崎くんちの奉納踊町にも「八幡町」の名があることから、この神社がかなり古くから地域に根差してきたことがうかがえる。

宮地嶽八幡神社
由緒と歴史
創建は承応2年(1653年)。修験者であった存性(ぞんしょう)が、京都の石清水八幡宮(男山八幡宮)から御分霊を勧請し、この地に「大覚院」を創立して奉祀したのが始まりである。
明治元年(1868年)の神仏分離令により大覚院の寺号を廃し、「八幡神社」となった。
なお、現在の「八幡町」という町名は、延宝8年(1680年)にこの地区の町名が新設された際、当社の祭神に因んで名付けられたものである。
その後、明治11年(1878年)に福岡県宗像郡の宮地嶽神社から分霊を勧請・奉祀し、相殿(あいどの)として現在の「宮地嶽八幡神社」の形となった。
長崎市内の八幡神社
長崎市内に「八幡」を冠する神社、あるいは八幡神(応神天皇など)を主祭神として祀る神社は、宗教法人の一覧や地域の神社網を数えていくと、小さな祠や末社を除いた主要なものだけで20社以上存在するという。
確かに八幡神社の数は群を抜いて多い。
八幡神(応神天皇=誉田別命)は、かつて源氏をはじめとする武士たちから「武勇・勝利の神(弓矢八幡)」として篤く信仰されていた。
長崎の場合、中世における深堀氏などの武士団の進出や、江戸時代に天領(幕府直轄地)として栄えた歴史的背景から、特に八幡信仰が盛んであったと考えられる。
逆に言えば、八幡神社がある地域はかつて武士が拠点を置いた(あるいは関わりの深かった)地域とも言えるだろう。
これに対し、稲荷神社がある地域は農民や商人、恵比寿神社や金毘羅神社と関係がある地域は海洋・船舶関係の手によって祀られてきた傾向があり、神社の分布から当時の人々の営みが見えてくる。

中川八幡神社
陶器製の鳥居
八幡町の宮地嶽八幡神社を一躍有名にしたのが、明治21年(1888年)に奉納された白磁の「陶器製鳥居(国登録有形文化財)」である。
有田の磁器窯によって製作されたもので、全体に見事な唐草模様が染め付けられている。
銘文からは、製造人が岩尾久吉、角物細工人が金ヶ江長作、丸物細工人が峰熊一という、当時の名工たちの手によるものであることが判明している。
また、この鳥居は昭和20年の原子爆弾投下による衝撃波にも耐え、倒壊することなく当時の姿のまま現存している歴史的遺構でもある。
宗像の宮地嶽神社との比較

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本家にあたるのは、福岡県福津市(旧・宗像郡)に鎮座する宮地嶽神社だ。
全国に約200社ある宮地嶽神社の頂点に立つ総本宮であり、日本一の大きさを誇る大注連縄、大太鼓、大鈴で知られる。
中でも最も有名なのは、神社から玄界灘(相島)へと真っ直ぐに伸びる参道である。
毎年2月と10月の僅か数日間、沈み行く夕日がこの参道の直線道路の真延長線上に位置し、参道全体が黄金色に輝く「光の道」が現れる。
この絶景はテレビCMやメディアでも大きく取り上げられた。
宮地嶽の名称の由来は、神功皇后が祭壇を設けた山が、神々を祀る「宮(社殿)の在る土地」、すなわち「宮地(みやじ)」と呼ばれるようになったことに始まる。
その「宮地」に、険しい山を指す「嶽(たけ)」の字が組み合わさり、山そのものが「宮地嶽」と称されるようになった。
つまり、「神を祀る特別な山」そのものが御神体であり、それがそのまま神社名になったのである。
確かに、長崎の宮地嶽八幡神社の背後には風頭山や英彦山が控えているが、本家のように「山そのものを神聖視する」という文脈とは少し異なる。
元々は黄檗宗(禅宗)の寺院である大覚院から始まり、明治の神仏分離を経て八幡神社となり、さらに福岡の宮地嶽神社から分霊を迎えて合祀したという、長崎らしい神仏習合と歴史の変遷の産物といえる。
宮地嶽という名称は非常に知名度が高いため、長崎県内にもいくつか分社が存在する。
佐世保市宮地町の宮地嶽神社のほか、長崎市内でも東長崎の矢上地域や、三菱の造船街を見下ろす飽の浦の地にも鎮座している。
これは明治時代以降、北部九州で絶大な信仰を集めた宮地嶽の「開運・商売繁盛・何事にも打ち勝つ神」としての御神徳が、長崎の地にも広く浸透していった証拠だろう。
神功皇后伝説

神功皇后
当社の主祭神は八幡神(応神天皇=誉田別命)であるが、その母である神功皇后もまた重要な祭神である。
八幡神がいつしか応神天皇と同一視されるようになった経緯には歴史的な謎や議論が多いが、神功皇后にまつわる「三韓征伐」の伝承や、お腹に石を当てて出産を遅らせながら戦ったというエピソードは、神話とはいえ極めて劇的で強烈な印象を残す。
こうした神功皇后伝説は長崎の各地にも数多く残されており、歴史愛好家にとって興味の尽きないテーマである。
神社は市内の主要な観光地(寺町や新大工周辺)からも近く、今も参拝客で賑わいを見せている。
しかし一方で、神社やお寺の境内地を月極駐車場として貸し出している光景も多く目にする。
都市部の神社経営を維持するための切実な防貧策・現実的な選択であることは理解できるものの、歴史ある聖域としての景観を著しく損ねている側面もあり、一人の歴史ファンとしては強く残念に思うところである。

宮地嶽八幡神社 グーグルマップ

