梅と稲荷の松森天満宮(上西山町) 長崎10社巡り

上西山町にあり、諏訪神社の参道、4つ目の鳥居を上がった所から右に曲がった場所にある。

長崎でもっとも古い歴史のある神社と言われているが、現在の場所での創建は1656年である。

その当時の将軍は徳川家光、出島でオランダ貿易が開始され(1641年)、参勤交代が全大名に義務化された時代でもある。

長崎にはキリシタンによる神社仏閣焼き討ちがあったので、創建年は、それ以前と以後で別れてしまう。

正確には1574年〜1587年の13年間が焼き討ちのあった期間で、その当時長崎は大村藩だった。

最初、大村純忠の地元の大村が焼き討ちにあい、1580年に「長崎」と「茂木」の地をイエズス会に寄進した以降、現在の長崎市内の本格的な神社仏閣の焼き討ちにが始まった。

秀吉の追放令、そして徳川幕府による禁教令が1614年以降になるので、諏訪神社(1625年再興)や松森天満宮が誕生することになる。

長崎の神社は、いろんな場所を転々としているので、色んな解説で創建の時代が違うのは、「長崎神社あるある」でもある。

 

長崎三社

長崎奉行所の支配下で街が整備されていく中、神社の格付けとして「長崎三社」という枠組みが作られた。

諏訪神社: 鎮西無双と称され、奉行所からも手厚い保護を受ける「公の象徴」
伊勢宮: 天照大御神を祀る「国家神道の頂点」の系譜
松森天満宮: 京都の最高権威と直結する「文教の最高峰」

長崎の諏訪神社の「おくんち」は秋の祭りで有名だが、松森天満宮の重要な大祭は、菅原道真公の命日(2月25日)にちなんで行われる春の「天神祭」である。

諏訪神社と松森天満宮の場所は近い。

諏訪のくんちに行ったついでに松森天満宮にも寄るのだが、ここは静かである。

まあ、諏訪神社のくんちが大袈裟すぎるのだが、その対比も味わい格別でもある。

実際に言って数えてみると本殿以外に

菅原信清命社、米津稲荷大明神、新大工町天満宮、今博多町天満宮、塞三柱神社(下西山神社)、五方殿、大学稲荷社、炉粕町稲荷社、玉崎稲荷社、猿田彦神社(老松神社、白太夫神社)、水神様

が祀られていた。

狭い境内の事を思えば、なかなかの数である。

各祠や各神社の経歴や解説は下記のページを参考にしてほしい。

 

庶民派 松森神社
https://artworks-inter.net/2020/02/25/%e5%ba%b6%e6%b0%91%e6%b4%be%e3%80%80%e6%9d%be%e6%a3%ae%e7%a5%9e%e7%a4%be/

この事から松森神社は庶民派と印象を受けた。

キリシタンの破壊により行き場を失った長崎の古い町々の神様、商人たちの守護神を、その後も受け入れ続けた結果と思える。

天満宮菅原道真は学問の神様とされ、稲荷神社は商売と食べ物の神様である。

この二つは、庶民にとって実に相性がいい。

日本国民は向学心が高く、寺子屋などが充実していた。

なので、頭がよくなり、商売がうまくいく神様がセットになっている松森神社は、人気の神社だったのだ。

 

由緒と歴史

1625年(あるいは1626年)に今博多町にて創建され、1656年に現在の地(諏訪神社の跡地)へと遷宮された。
「松森」という社名は、創建当時にこの地に3本の松の木が生えており、文字通り「木」が3つ合わさると「森」になることから命名されたと伝えられている。

見どころと文化財

県指定有形文化財「職人尽(しょくにんづくし)」
本殿の外囲いである瑞垣(みずがき)の欄間に、中世から近世にかけた様々な職業の職人風俗を浮き彫りにした30枚の鏡板がはめ込まれている。菓子職人や船大工、製薬人などが精緻に描写されており、正徳3年(1713年)の社殿改修時に奉納された。歴史民俗資料・美術品として極めて高い評価を受けている。

市指定天然記念物「大クス群」

境内には7本の巨大なクスノキが群生している。樹高は20〜30メートル、幹回りは大きいもので約8メートルにも達し、見事な樹冠を形成している。かつて長崎に暮らした外国人は、この一帯の山を「マウント・オブ・キャンファ(樟の山)」と呼んで親しんだという。

願掛け牛(御神牛)

天満宮の象徴でもある菅原道真公の使い、牛の像が鎮座している。慶応元年(1865年)の銘が刻まれた歴史ある御神牛で、体をなでて学業成就や合格を祈願する参拝者が絶えない。

境内の雰囲気と鶏たち

境内には江戸時代の正門や石橋が残り、趣ある空間が広がっている。また、境内では鶏が放し飼いにされており、のどかな散策を楽しむことができる。

 

松森天満宮へは、路面電車やバスの「諏訪神社」電停・バス停から徒歩約5分でアクセスできる。参拝する際は、静かな境内で歴史的な彫刻や雄大なクスノキをゆっくりと鑑賞するのがおすすめである。

 

私は、松森天満宮の梅を見に行くことが多い。

天満宮といえばやはり梅である。「飛梅」を知らない人はいないだろう。

そして「通りゃんせ」という童謡だ。

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
御札を納めに 参ります
行きはよいよい 帰りは怖い
怖いながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

昔は医療が未発達だったため、「七歳までは神のうち」と言われ、幼い子どもが亡くなることが非常に多かった。

そのため、知恵を授け、子どもを守ってくれる神様として絶大な信仰を集めていた天神さん(菅原道真公)の元へ、7歳のお祝い(現在の七五三の起源)の御札を納めに行くのである。

いずれも哀愁があり、情緒がある。

天神さんの神社は、そんな神社なのである。

松森天満宮の梅
https://artworks-inter.net/2021/02/17/%e6%9d%be%e6%a3%ae%e5%a4%a9%e6%ba%80%e5%ae%ae%e3%81%ae%e6%a2%85/

 

コメントを残す