福田の事代主神社

長崎の町を歩いていると、あちこちで笑顔の「恵比須(えびす)様」に出会う。鯛をかかえて釣竿を持った、あのお馴染みの姿だ。
 

 

長崎は海に囲まれた町で、昔から漁業や貿易で栄えてきた。だからこそ、海の安全や商売繁盛を祈る恵比須様は、まちのあちこちに祀られている。長崎はまさに「あっちもこっちも恵比須様だらけ」の町と言っていい。

 

ところが、長崎市の福田本町(福田地区)に行くと、ちょっと珍しい名前を目にする。そこにある神社や祠には「恵比須」ではなく、「事代主(コトシロヌシ)」という神様の名前が掲げられているのだ。

 

長崎中が恵比須様でいっぱいなのに、なぜ福田だけ「事代主」という難しい名前で呼ばれているのだろうか。実はここには、この地を治めていた「福田氏」という武士の歴史が関わっている。
 

 

事代主と恵比須様は、もとは別の神様

そもそも「事代主」と「恵比須様」は、最初から同じ神様だったわけではない。

 

事代主は、日本の古い神話に出てくる神様だ。神話の中で「海で釣りをしていた」という場面がある。

 

いっぽうの恵比須様は、神話に出てくる神様ではなく、海の向こうから幸せを運んでくると信じられていた、昔の漁師たちの守り神だった。

 

この二つの神様が、時代がたつにつれて重なり合うようになる。「釣りをしている」という共通点があったからだ。「恵比須様の正体は、神話に出てくる事代主という神様だ」と考えられるようになり、やがて同じ神様として扱われるようになった。

 

つまり、名前が違うだけで、根っこにあるのは私たちがよく知る「恵比須様」そのものである。

 

福田の殿様と「海の守り神」

では、なぜ福田では「恵比須様」ではなく「事代主」という名前が強く残ったのだろうか。その理由は、昔この土地を治めていた領主「福田氏」にある。

 

福田氏は、今から遠い昔(鎌倉時代)、関東からやってきた武士の一族だった。彼らは福田の海を見下ろす山の上に「福田城」というお城を建てた。

 

この福田城は、海にぴったり面した「海の城」だった。福田氏はただの武士ではなく、船を操り、海の交易や港の管理を取り仕切る「海の殿様」だったのである。外国の船(ポルトガル船)を福田の港に招いて貿易をしたことでも有名だ。

 

海とともに生きる福田氏にとって、海の安全や港の繁栄を守ってくれる神様は、命の次に大切な存在だった。

 

関東出身の武士たちは、もともと「事代主」という神様を大切にする文化を持っていた。そのため、福田の殿様は港の守り神として恵比須様を大切にし、それを神話の正式な神様である「事代主」として手厚く祀ったのである。

 

街にあふれる恵比須様と、福田に残る歴史

時代が明治になり、政府は「神社の神様は、神話に出てくる正式な名前にまとめなさい」というルールを作った。このとき、長崎のあちこちにあった恵比須様も、正式な名前として「事代主」と登録されることが増えた。

 

特に福田の地では、かつて福田氏という殿様が「事代主」として大切に祀ってきた歴史があったため、今でも「事代主神社」という名前がしっかり残ることになったのだ。

 

長崎の街を歩けば、今でも身近で親しみやすい「恵比須様」の石像がたくさん見つかる。

 

その「恵比須様だらけ」の長崎の中で、福田本町に「事代主」という格式高い名前が残っているのは、かつてこの海を治め、港を拓いた福田氏という殿様の歴史が、今も静かに受け継がれている証なのである。
 

福田港

 

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