藤井聡太王位とトルコライス

【王位戦】藤井聡太王位の勝負めし「長崎の恵みトルコライス」。
 

藤井聡太王位の昼食「長崎の恵みのトルコライス」(日本将棋連盟提供)

 

あの若き天才棋士の頭脳戦を支えたメニューとして脚光を浴びたことで、改めてその存在感を全国に知らしめた長崎の名物料理である。

長崎の街を歩けば、あちこちの喫茶店や洋食屋の看板で目にする文字がある。「トルコライス」。

運ばれてきた大きな丸皿の上を眺めると、そこには茶色と赤色の鮮やかなワンダーランドが広がっている。こんがり揚がったとんかつ、ケチャップで真っ赤に炒められた昔ながらのナポリタンスパゲッティ、そしてバター香るピラフ(またはドライカレー)。炭水化物と脂質が手を取り合って満面の笑みでこちらを見つめてくる、まさに「大人のためのお子様ランチ」である。カロリー計算という概念はこの皿の上には存在しない。

だが、ここで誰もが一度は抱く疑問がある。
 
「……で、これのどこがトルコなのだろう?」
 

世界中からの有名なまたは多作のトルコ人のいくつか ウィキペディア

 
実はこの料理、本場のトルコ共和国とは縁もゆかりもない。それどころか、国民の多くがイスラム教徒であるトルコで「これが我が国の名物・豚肉のカツが乗ったトルコライスです!」と差し出そうものなら、国際問題に発展しかねない構成である。

ではなぜ、長崎の地でこのハイカロリーな夢のひと皿が「トルコ」と名付けられたのか。長崎の食の歴史を探ってみると、いくつかの愉快でロマンあふれる説が浮かび上がってくる。

説その一:東西文明の「架け橋」ロマン説
もっともドラマチックで広く知られているのがこの説だ。ピラフをアジア(東洋)に見立て、パスタをイタリア(西洋)に見立てる。そしてその二つを繋ぐ真ん中のとんかつ、あるいはこの一皿そのものを、アジアとヨーロッパの交差点である「東西文明の架け橋・トルコ」になぞらえたというものだ。

一介の洋食メニューにユーラシア大陸の歴史を背負わせるこの壮大なスケール感。いかにも異国情緒と歴史のロマンが大好きな長崎人らしい、しゃれたネーミングセンスである。

 

説その二:ピラフの元祖「ピラウ」説
もう少し現実的で料理人らしい説もある。そもそもピラフのルーツは、中東やトルコで親しまれている炊き込みご飯「ピラウ(Pilaw)」だ。長崎の洋食シェフがピラフを使った料理を考案した際、「ピラウ=トルコ風のライス」と呼び始めたのが略されて「トルコライス」になったという。歴史の授業のように理路整然としていて説得力がある。

 

説その三:言葉の聞き間違い「トリコロール」説
ピラフ、スパゲッティ、とんかつ(またはサラダ)の「三色・三種」を一皿に盛ることから、フランス語で三色旗を意味する「トリコロール」と呼んでいたものが、誰かの耳と口を経ていつの間にか「トルコ」に化けてしまったという説だ。「トリコロール、トリコ、トルコ……うん、似ているかもしれない」と頷きたくなる、いかにも日本の洋食文化らしいおおらかな伝言ゲームの匂いがする。

 

説その四:かつて実在した「レストラントルコ」説
昭和の時代、長崎市内にあった洋食店「レストラントルコ」が出していた看板メニューが評判を呼び、店名がそのまま料理名として定着したという身も蓋もない説もある。日常のリアリズムとしては案外これが真相に近いのかもしれない。

 

結局のところ、どの説が決定的な正解なのかは今となっては闇の中である。だが、外から入ってきた異国の文化をごちゃ混ぜにして、自分たち好みの最高に美味いものへと昇華させてしまう「ちゃんぽん精神」こそが、長崎という街の真骨頂だ。東西の文化を強引に一皿にまとめるその大胆さこそ、トルコライスの真髄なのだろう。

フォークを手に取り、まずはサクサクのカツにソースを絡めて一口。続いてケチャップまみれの太麺パスタを巻き取り、ピラフを口いっぱいに放り込む。どこか懐かしく、問答無用に美味い。藤井王位がここ一番の大勝負のエネルギー源に選んだのも、深く頷ける力強さである。

食べ終えてパンパンに膨らんだお腹をさすりながら、胃袋に押し寄せた圧倒的な炭水化物の波にため息をつく。なるほど、名前の由来が東西文明の架け橋だろうがピラフの語源だろうが、目の前のこの満腹感の前には些細な問題だ。
ただひとつだけ確かなのは、これを平らげた後にお腹周りに蓄えられる立派な浮き輪肉だけは、決して「架空のトルコ」ではなく「紛れもない現実」だということである。
 

伊藤匠2冠の昼食「特製トルコライス」

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