島を救うはずのメガソーラーが島を壊す日 宇久島メガソーラー
それでもソーラーパネルを設置するのか?
宇久島メガソーラーが抱える現実と未来への問い

離島を覆う太陽光パネル152万枚 「日本一」のメガソーラー本格着工へ 長崎・宇久島 産経新聞社
私の父の故郷は、長崎県・五島列島の北端に浮かぶ「宇久島(うくじま)」である。
中学生のころ、夏休みになると友人たちと島へ渡り、青く澄んだ海で泳ぎ、豊かな自然の中を夢中になって遊んだ。あのころの記憶は、今でも鮮明に残っている。
たくさんの温かい思い出が詰まった、大好きな島である。
だからこそ、現在その宇久島で進められている巨大開発が気になって仕方がない。そして、島の将来に強い危機感を抱かずにはいられないのである。
宇久島では現在、日本最大級とされる巨大な太陽光発電所、いわゆる「メガソーラー」の建設が進められている。
敷き詰められるソーラーパネルは約152万枚。計画区域は島の面積のおよそ1割にも及ぶ。
さらに、島で発電した電気を九州本土へ送るため、海底には約64キロメートルもの送電ケーブルを敷設する。総事業費は約2000億円ともいわれる、まさに桁外れの巨大プロジェクトである。
全国各地で、メガソーラー建設による森林伐採や景観の変化、土砂災害への懸念などが指摘されている。
それにもかかわらず、なぜこれほど巨額の費用をかけてまで、離島で大規模な工事が進められているのだろうか。
そこには、普段の生活からは見えにくい「お金の仕組み」と、過疎に苦しむ「島の切実な事情」が複雑に絡み合っている。
なぜ2000億円もの大工事が成り立つのか
太陽光発電によって作られた電気の買い取り価格は、制度開始当初と比べて大きく下がっている。
現在、新たに認定される太陽光発電の価格水準と比べれば、かつての買い取り価格は驚くほど高かった。
もし現在の価格水準で宇久島の計画を一から始めようとすれば、海底ケーブルの敷設や大規模造成を含む約2000億円規模の事業を成立させることは、極めて難しいだろう。
では、なぜ今、この巨大事業が進められているのか。
大きな理由の一つが、この事業が制度開始初期に、1キロワット時あたり40円という高い買い取り価格でFIT認定を受けたとされていることである。
現在と比べれば、非常に有利な条件である。
この過去の認定があるからこそ、長大な海底ケーブルを敷き、大規模な造成を行っても、事業として採算を見込むことができる。
言い換えれば、現在の市場環境だけを見れば成立しにくい巨大計画が、十年以上前に認められた制度上の条件によって、今も動き続けているのである。
「このままでは島が消えてしまう」という危機感
では、なぜ島の人々は、大切な土地をメガソーラー事業に貸す決断をしたのだろうか。
これは単純に「企業が島に押し付けた」という話だけではない。
その背景には、島の人々が抱えてきた深刻な過疎化、高齢化、そして産業衰退への危機感がある。
かつて1万人以上が暮らしていた宇久島の人口は大きく減少し、現在では高齢化も深刻に進んでいる。
島の主要産業であった農業や畜産業も、後継者不足に悩まされてきた。担い手を失った田畑は手入れされなくなり、耕作放棄地となって草木に覆われていく。
「このままでは、島そのものが消えてしまうのではないか」
そう感じた住民がいても不思議ではない。
高齢になり、草刈りさえ大きな負担となった地権者にとって、使われなくなった土地を企業に貸し、地代を得ることができるメガソーラー計画は、島に新しいお金を呼び込む「最後の希望」のように映ったのかもしれない。
島を守ろうとする選択が、メガソーラーを受け入れるという決断につながった。
そこに、この問題の難しさがある。
失敗したとき、重いツケを背負うのは誰なのか
しかし、華々しい巨大プロジェクトの裏側には、将来への大きな不安も残されている。
もし大雨や台風によって設備や造成地に被害が出たらどうなるのか。
固定価格で電気を買い取る期間が終了した後、設備はどうなるのか。
そして何より、事業途中で運営会社の経営が行き詰まった場合、誰が最後まで責任を負うのだろうか。
大規模な開発事業では、実際に事業を行う会社として特別目的会社(SPC)が設けられることも多い。
万一、事業会社が経営破綻した場合、設備の撤去や土地の原状回復が計画通り行われるのか。その費用が十分に確保されているのか。
これは極めて重要な問題である。
何しろ宇久島に設置されるのは、150万枚を超える巨大なパネル群である。
もし将来、パネルや鉄製の架台、コンクリートの基礎などが十分に撤去されず放置されれば、その土地は農地にも山林にも簡単には戻せない。
収益を生む「資産」だった土地が、維持費だけがかかる「負動産」に変わる可能性さえある。
さらに、台風や豪雨によって土砂が流出したり、破損した設備が周辺環境へ流れ出したりすれば、島の美しい海や漁場にまで影響が及ぶ恐れもある。
ひとたび自然環境を大きく改変してしまえば、元に戻すことは簡単ではない。
高い買い取り価格を支えているのは誰か
もう一つ忘れてはならないのが、電気を買い取るためのお金が、どこから出ているのかという問題である。
再生可能エネルギーの固定価格買取制度を支えているのは、最終的には私たち電気利用者である。
毎月の電気料金には「再生可能エネルギー発電促進賦課金」、いわゆる再エネ賦課金が上乗せされている。
つまり、高い価格で買い取られる電気の費用は、社会全体で負担しているのである。
もちろん、再生可能エネルギーを普及させるためには、一定の社会的負担が必要になる。
問題は、その負担に見合うだけの公益性と、将来にわたる安全性が本当に確保されているのかということである。

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未来への問いかけ
地球温暖化を防ぎ、化石燃料への依存を減らすために、再生可能エネルギーを増やしていくこと自体を否定するつもりはない。
しかし、「再生可能エネルギーだから環境に優しい」と単純に片付けてしまってよいのだろうか。
十年以上前の高額な買い取り制度を前提に、かけがえのない島の自然を大きく変え、将来世代に大量の設備を残す危険を冒してまで進められる開発が、本当に「持続可能なエネルギー」と呼べるのだろうか。
太陽光発電の寿命だけを考えるのではなく、その土地で暮らす人々の50年後、100年後まで考える必要がある。
過疎から島を救おうとして選んだ道が、20年、30年後には逆に島を苦しめる原因になってしまっては意味がない。
私の記憶の中には、青い海と草原が広がる宇久島がある。
今もそこで暮らしている人々にとって、その海も大地も、単なる「発電設備を置くための土地」ではない。
そこには暮らしがあり、歴史があり、先祖から受け継いできた風景がある。
その大地に敷き詰められようとしている無数の黒いパネルは、私たちに問いかけているように思える。
「豊かな暮らしとは何なのか」
「地域を救うとは、いったいどういうことなのか」
そして何より、
「目先の利益と引き換えに、未来の風景をどこまで変えてよいのか」
宇久島のメガソーラー問題は、決して一つの離島だけの問題ではない。
日本各地で同じような開発が進む今、私たち自身が真剣に考えなければならない問題なのである。

