神功皇后伝説の神社巡り

長崎には数多くの神社があるが、ただ有名な神社を順番に訪れるだけでは少しもったいない。せっかく神社巡りをするなら、一つのテーマを決めて歩いてみると、いつもの風景がまったく違って見えてくる。

例えば「神功皇后伝説」をテーマに、長崎各地の神社を訪ねてみるのも面白い。地図を広げ、それぞれの土地に残る伝説を読みながら神社を巡っていくと、離れて点在していた神社が、一つの大きな物語でつながってくるのである。

神功皇后といえば、古代に朝鮮半島へ兵を進めたとされる「三韓征伐」の物語で知られる人物である。その史実性については慎重に考える必要があるが、長崎各地には、皇后が船を寄せた、上陸した、休息した、水を求めた、戦勝を祈ったといった伝承が数多く残されている。

「神功皇后」『慶応頃錦絵帖』
一猛斎芳虎 作

今回取り上げる主な神社を地域別に整理すると、次のようになる。

【諫早・橘湾奥】
白髯神社(諫早市有喜町)

【東長崎・橘湾沿岸】
戸石八幡神社(長崎市戸石町)
矢上八幡神社(長崎市矢上町)

【長崎港・浦上周辺】
神崎神社(長崎市木鉢町)
稚桜神社(長崎市坂本町)

【茂木・長崎市南東部】
茂木神社・裳着神社(長崎市茂木町)

【野母半島・長崎市南部】
脇岬八幡神社(長崎市脇岬町)
樺島八幡神社(長崎市野母崎樺島町)

【外海・三重沖】
神浦神社(長崎市神浦江川町)
神楽島神社(長崎市四杖町沖・三重沖)

稚桜神社(長崎市坂本町)

私は長崎の神社についてはかなり巡ってきたつもりであるが、神功皇后に関係する神社は、これ以外にもまだあるように思う。

特に八幡神社は、一般に応神天皇を祭神とする神社が多い。そして『日本書紀』などの伝承では、その応神天皇の母が神功皇后である。そのため、直接「神功皇后がここへ来た」という伝説がなくても、八幡信仰を通じて神功皇后と深く結びついている神社も少なくない。

ここでは、長崎周辺で神功皇后伝説との結びつきが比較的よく知られている神社を中心に紹介することにした。ほかにも伝承地や小さな社が残っている可能性があるので、漏れがあればご容赦いただきたい。

こうして並べてみると、神功皇后伝説は長崎の一地域だけではなく、橘湾から長崎港、野母半島、さらに角力灘まで、かなり広い範囲に分布していることが分かる。

まず橘湾の奥、諫早市有喜町には白髯神社がある。伝承では、神功皇后が有喜浦に船を寄せて上陸し、武運長久と航海の安全を祈ったとされる。

そこから橘湾沿岸を長崎方面へたどると、戸石町の戸石八幡神社がある。ここには、皇后の軍船をつなぎ止めたという巨石「舫石(もやいいし)」の伝説が残されている。

さらに矢上町の矢上八幡神社には、皇后の軍勢が水に困った際、皇后が杖で地面を突くと清水が湧き出したという「杖立の水」の伝説が伝わる。海上の航路だけでなく、陸上にも皇后の足跡が残されているのである。

長崎港周辺にも伝説は多い。

旭町の釛山恵美須神社では、長崎港に入った皇后が山に登り、神宝を納めて戦勝を祈ったとされる。また木鉢町の神崎神社には、皇后の御座船が着岸したという話や、皇后が腰掛けたとされる「御腰掛石」が伝えられている。

浦上地区の坂本町には稚桜神社があり、神功皇后や皇統を守る神々を祀る社として受け継がれてきた。

一方、長崎市南東部の茂木町には、茂木神社・裳着神社がある。神功皇后がこの地に上陸し、衣服の「裳」を着け直したことから「裳着」と呼ばれ、それが「茂木」という地名につながったという伝承が残る。境内には、皇后が腰を掛けたとされる石も伝えられている。

さらに南へ進み、野母半島へ向かうと、脇岬八幡神社と樺島八幡神社がある。

脇岬では、皇后が風待ちのため上陸して休息し、遠征の成功を祈ったとされる。樺島には、水を求めた皇后が弓の先で地面を突くと水が湧き出したという「皇后井戸」の伝説が残っている。

そして長崎市北西部、角力灘側にも伝承は続く。

神浦江川町の神浦神社では、皇后が御座船を寄せて風待ちをし、神々を祀ったことから「神の浦」と呼ばれるようになったと伝えられている。

さらに三重沖の神楽島には神楽島神社がある。ここには、三韓征伐から凱旋した際、皇后一行が神楽を奉納したことから「神楽島」という名が生まれたという伝説が残されている。

こうして地図の上で神社や伝承地を結んでいくと、有喜、戸石、矢上、長崎港、茂木、野母半島、そして角力灘へと、長崎の海岸線を巡る大きな物語が浮かび上がってくる。

もちろん、これらすべてが実際の神功皇后の航路だったと証明されているわけではない。後世になって生まれた伝説や、もともと各地にあった海や水、巨石への信仰が、神功皇后の物語と結びついた可能性もある。

しかし、それこそが神社巡りの面白さではないだろうか。

「本当に神功皇后はここへ来たのだろうか」

「なぜ、この場所にこのような伝説が生まれたのだろうか」

そんな疑問を持ちながら歩けば、神社は単なる参拝の場所ではなく、歴史の謎を考える入口になる。

そもそも神社は、ある日突然、何もない場所に自然に生まれたものではない。そこには神社を建てた人々がおり、その場所を大切に守り、伝説や祭りを後世へ伝えてきた人々がいる。

たとえ神功皇后の伝説そのものが史実ではなかったとしても、「なぜその土地の人々が、その場所に神功皇后の物語を残したのか」という事実には意味がある。

港には港の歴史があり、岬には岬の歴史があり、湧水や巨石にも、それを特別なものとして見てきた人々の記憶がある。

神社を訪ねるということは、神様だけを訪ねることではない。

その土地に生きてきた人々の記憶を訪ねることでもある。

神社は、人が残した歴史そのものなのである。

月岡芳年筆「日本史略図会 第十五代神功皇后」

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