佐世保という地名の由来|なぜ『佐世保』と呼ばれるようになったのか

 

佐世保港 ウィキペディア

「佐世保」という地名は、長崎県内でもかなり独特である。

長崎、大村、島原なら、漢字を見ればなんとなく意味を想像できる。

ところが「佐世保」はそうはいかない。

「佐世」とは何なのか。

そして最後の「保」には、どんな意味があるのか。

調べてみると、佐世保という地名には今でも決定的な答えがなく、佐世保市自身も複数の説を紹介している。

佐世保市も「定説はない」としている

まず大切なのは、

佐世保という名前の由来は、現在も一つに決まっていない

ということである。

佐世保市の公式Q&Aでは、主な説として三つを紹介している。

一つ目は植物説。

二つ目は地形と行政単位から生まれたという説。

三つ目は神功皇后にまつわる伝説である。

どれも興味深いが、「これが正解だ」と断定できるものではない。

だからこそ面白い。

第一の説 「サセブ」という木から佐世保になった

一つ目は、

この土地に「サセブ」という木が多く生えていた

という説である。

サセブとは、和名でシャシャンボと呼ばれる植物である。

この「サセブ」という呼び名が少しずつ変化し、

サセブ → サセボ → 佐世保

となったという説明である。

地名が植物の名前から生まれることは珍しくないので、十分ありそうな話ではある。

ただし、「サセブ」という植物名から佐世保という地名が生まれたことを直接示す古い史料が残っているわけではない。

したがって、あくまで有力な説の一つである。

第二の説 「狭瀬」と「保」から佐世保になった

個人的に最も興味深いのが、この説である。

佐世保市公式によると、

狭い川瀬を意味する「狭瀬(させ)」が「佐世」となり、中世の行政単位を表す「保」と結びついた

という説がある。

つまり、

狭瀬 + 保 = 佐世保

というわけである。

「保」は中世に使われた土地や行政単位を表す言葉である。

そう考えると、「佐世保」は最初から一つの言葉だったのではなく、

佐世という場所にあった「保」

という意味だった可能性が出てくる。

この説は、佐世保を「佐世」と「保」に分けて考えられるという点でも興味深い。

後世には佐世保氏という武士も現れるが、地名から名字を取った可能性も考えられる。

日本の武士の名字は、自分が支配した土地の名を名乗ることが非常に多かったからである。

第三の説 神功皇后の「裂け帆」

そして長崎らしい伝説も残っている。

それが神功皇后である。

佐世保市公式の説明では、神功皇后が三韓征伐へ向かう途中、強い風によって船の帆が裂けた。

そこで佐世保の港へ入り、帆を修理した。

そのため、

「裂け帆(さけほ)」

と呼ばれるようになり、それが次第に

「させぼ」

へ変化したという伝説である。

いかにも昔話らしい話である。

ただしこれは、歴史的な語源というより神功皇后伝説と結びついた地名伝承として考える方がよいだろう。

長崎県内には神功皇后に関する地名伝説や神社伝承が非常に多いため、その一つとして見ると興味深い。

佐世保亀岡八幡宮

そもそも「佐世」という地名が先にあったのではないか

ここで気になるのが「佐世」という言葉である。

佐世保という名前を分解すると、

佐世 + 保

となる。

つまり「佐世」という地域名が先に存在し、そこへ「保」という行政上の言葉が付いた可能性も考えられる。

中世の佐世保周辺は松浦党の勢力圏であった。

松浦党とは、現在の長崎県北部から佐賀県北部にかけて勢力を持った武士団である。

海に囲まれた土地柄から、水軍や海上交易にも深く関わった。

佐世保周辺にも松浦党につながる武士が存在し、後には佐世保氏という姓も見られる。

そう考えると、

先に「佐世」という土地があり、その地域の「保」が佐世保と呼ばれた

という考え方は比較的自然に思える。

ただし、これも決定的な証拠があるわけではない。

明治になるまで佐世保は小さな村だった

現在の佐世保は長崎県を代表する都市だが、明治初期までは大都市ではなかった。

大きく運命が変わったのは、明治時代に海軍の軍港が置かれてからである。

天然の良港を持つ佐世保は、日本海軍の重要拠点として選ばれ、急速に人口が増えた。

そして小さな佐世保村から、軍港都市・佐世保へと成長していった。

現在でも佐世保港は深い入り江を持つ天然の良港であり、市の公式説明では「葉港」とも呼ばれている。市章も「サセホ」の文字を組み合わせたデザインになっている。

つまり、「佐世保」という昔からの地名が、軍港の発展によって全国的に知られる都市名になったのである。

佐世保教会

結局、佐世保という地名はどこから来たのか

現在知られている主な説を整理すると、

植物説
サセブという木が多かったため、サセブが訛って佐世保になった。

地形・行政説
狭い川瀬を表す「狭瀬」が「佐世」となり、中世の行政単位「保」と結びついて佐世保になった。

神功皇后伝説
船の「裂け帆」を修理した場所だったため「サケホ」と呼ばれ、それが佐世保になった。

という三つが代表的である。佐世保市もこの三説を紹介しており、どれか一つを定説とはしていない。

私としては、

「佐世」という古い地域名に、中世の行政単位「保」が付いた

という考え方が一番すっきりするように感じる。

しかし歴史では、「分からない」という答えも立派な答えである。

地名というものは、漢字が付けられるはるか以前から、人々の口から口へと伝えられていた場合が多い。

千年も前の人たちが何を思って「させぼ」と呼び始めたのか。

その声そのものは、残念ながら記録には残らない。

子供たちに話すなら

佐世保という名前の本当の由来は、今でもはっきり分かっていない。

「サセブという木がたくさん生えていたから」という説や、

「狭い川瀬を意味する『狭瀬』と、昔の土地の単位『保』が一緒になった」という説、

さらには神功皇后の船の帆が裂けた「裂け帆」が佐世保になったという伝説まである。

そして明治時代、佐世保に海軍の軍港が造られたことで、小さな村だった佐世保は大きな町へ変わっていった。

地名の由来が一つに決まっていないことも、故郷の歴史の面白さなのである。

佐世保宮地岳神社

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