対馬という地名の由来|なぜ「つしま」と呼ばれるようになったのか

韓国展望所

日本で朝鮮半島に最も近い大きな島、対馬。

長崎県に属しているが、地図を見ると九州本土よりも朝鮮半島の方がずっと近く感じられる。

ところで、この「対馬」という名前はどこから来たのだろう。

漢字だけを見ると、

「向かい合う二つの島だから『対』、昔は馬が多かったから『馬』なのではないか」

などと想像したくなる。

しかし、地名の由来を漢字だけから考えるのは危険である。

対馬の場合も、先に**「つしま」という古い呼び名があり、後から漢字が当てられた**と考える方が自然である。

対馬は『魏志倭人伝』にも登場する

対馬という名前の歴史は非常に古い。

3世紀の中国の歴史書『魏志倭人伝』には、

「対馬国」

という国が登場する。

邪馬台国へ向かう使者は、朝鮮半島から海を渡ってまず対馬国へ入り、その後、壱岐の一支国、さらに九州本土へ向かったと記されている。

対馬市の資料でも、対馬は古代から朝鮮半島と日本列島を結ぶ交通の要衝であり、『魏志倭人伝』には倭の一国として「対馬国」が登場するとされている。

つまり「つしま」という名前は、少なくとも約1800年前にはすでに存在していたことになる。

『古事記』では「津島」と書かれている

さらに興味深いのは、日本の古い史料では別の漢字が使われていることである。

『古事記』では対馬を、

「津島」

と書いている。

一方、『日本書紀』では、

「対馬洲」
「対馬島」

という表記が使われている。

ここから分かるのは、

漢字の表記よりも、

「つしま」という音の方が古かった

可能性が高いということである。

「津の島」が対馬の語源なのか

では「つしま」という音は何を意味するのだろう。

よく語られるのが、

津 + 島 = 港の島

という説である。

昔の日本語で「津」は港や船着き場を意味する。

たとえば三重県の「津」も港に由来する地名である。

対馬は山が多く、海岸線は複雑に入り組み、天然の入り江や港が数多くある。

さらに古代から朝鮮半島と九州を結ぶ航路の中継地だった。

そう考えれば、

「港の多い島=津島」

という説明は非常に分かりやすい。

『古事記』が実際に「津島」と表記していることも、この説を連想させる。

ただし、

「津島が語源である」と確定したわけではない。

古代の「つしま」という音に後から「津島」という漢字を当てただけという可能性もある。

ここは断定しない方がよい。

なぜ現在は「対馬」と書くのか

それでは、なぜ「津島」ではなく「対馬」になったのだろう。

これについても決定的な答えはない。

中国の『魏志倭人伝』では、すでに「対馬」という文字が使われている。

古代中国では、日本の地名を記録するとき、その土地の言葉の音に近い漢字を当てることがあった。

そのため、

「つしま」という音を中国側が「対馬」と表記した

可能性が考えられる。

一方、日本では「津島」という表記も使われていた。

つまり古代には、

対馬
津島

という複数の表記が存在し、その後「対馬」が一般的な表記として定着していったと考えるのが自然である。

「対」は二つの島、「馬」は馬という説はどうか

対馬は浅茅湾によって島の中央部が大きく入り込み、現在は人工の水路によって上島と下島に分かれている。

そのため、

「二つの島が向かい合っているから『対』」

と説明したくなる。

また対馬には「対州馬」と呼ばれる在来馬もいる。

そこから、

「対」と「馬」の意味を組み合わせて対馬になった

という話も作れそうである。

しかし『魏志倭人伝』の時代から「対馬」と書かれていたことを考えると、現在の漢字の意味だけから語源を説明するのは無理がある。

地名の漢字は、後から音に合わせて選ばれた場合が多い。

ここでもやはり、

漢字より「つしま」という音の方が先だった

と考えた方が自然である。

対馬

対馬は日本と大陸を結ぶ「海の玄関」だった

名前の由来以上に重要なのが、対馬の位置である。

対馬は古代から、朝鮮半島と九州の間を行き来する船にとって欠かせない中継地点だった。

『魏志倭人伝』でも、対馬の人々は山が多く耕地が少ないため、海産物を採りながら南北の交易によって生活していたと記されている。

現在でも長崎県は対馬について、古くから大陸から日本へ文化や技術が伝わる「国境の島」だったと紹介している。

つまり対馬は、日本の端にある島ではない。

古代の視点で見れば、

日本と大陸を結ぶ入口

だったのである。

古代の神社が多いのも対馬の特徴

対馬には非常に古い神社や信仰が数多く残っている。

海神神社をはじめ、海や山そのものを神聖視する信仰が現在まで伝えられている。

神功皇后に関する伝承も多く、対馬市の資料には、皇后が対馬北端の和珥津から出航したという『日本書紀』の記述や、帰途に八幡本宮へ旗を納めたという伝承が紹介されている。

史実か伝説かは慎重に考える必要があるが、少なくとも古代からこの島が海上交通の重要な場所だったことを物語っている。

結局、「対馬」という名前はどこから来たのか

整理すると、確実に言えることは次の通りである。

対馬は3世紀の『魏志倭人伝』ですでに「対馬国」と書かれている。

『古事記』では「津島」と表記される。

『日本書紀』では「対馬洲」「対馬島」と記される。

つまり、

「つしま」という呼び名は非常に古く、漢字表記は時代や史料によって違っていた。

語源については、

「津=港」の多い島だから「津島」になった

という説が分かりやすい。

しかし、それが絶対に正しいと断定できる資料はない。

本当の意味は、文字が記録されるより昔に生まれた地名の中へ隠れてしまったのである。

子供たちに話すなら

対馬という名前は、約1800年前の中国の歴史書にも登場する、とても古い名前である。

日本の『古事記』では「津島」と書かれている。

昔の言葉で「津」は港を意味するので、

「港の島=津島」

から「つしま」と呼ばれたのではないかという説がある。

ただし、本当の意味は今でもはっきり分かっていない。

それでも、対馬が古代から日本と朝鮮半島を結ぶ海の玄関だったことだけは間違いない。

地図では日本の端に見える対馬だが、古代の人々にとっては、むしろ外国と日本を結ぶ最前線の島だったのである。

和多都美神社

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