長崎くんち総集編 歴史の謎と写真でたどる「おくんち」
長崎くんち総集編
歴史と謎、そして私が撮り続けた「おくんち」
長崎の秋といえば「長崎くんち」である。
毎年10月7日、8日、9日の三日間、長崎の町は普段とはまったく違う顔を見せる。
龍が舞い、船が走り、巨大な太鼓山が宙を舞う。「モッテコーイ!」の声が響けば、長崎人なら祭りの季節が来たことを実感する。
しかし長崎くんちは、華やかな奉納踊だけを見て終わるには、あまりにも面白すぎる祭りである。
なぜキリシタンの町だった長崎に諏訪神社が造られたのか。
なぜ日本の神社の祭りなのに、中国風の龍やオランダ船が登場するのか。
コッコデショはどこから来たのか。
そもそも「くんち」とは何なのか。
私はこれまで長崎の歴史を調べながら、こうした疑問について何度も記事を書いてきた。同時にカメラを持って実際のおくんちを歩き、2002年から祭りの姿を撮影してきた。
そこで今回は、それらの記事と写真を一か所に集め、「長崎くんち総集編」としてまとめてみたい。

2002年撮影くんち
そもそも長崎くんちは、いつ始まったのか

おくんち
長崎くんちの始まりとされるのは寛永11年(1634年)である。
二人の遊女、高尾と音羽が諏訪神社に舞を奉納したことが始まりと伝えられている。
ここで注目したいのは「1634年」という時代である。
当時の長崎は海外貿易の港であると同時に、キリスト教をめぐって大きく揺れていた町でもあった。
つまり長崎くんちの成立を考えるには、祭りだけを見ていては分からない。諏訪神社、キリシタン禁制、長崎奉行など、当時の長崎そのものを見る必要がある。
長崎くんちとキリシタン
長崎くんち 謎のキリシタン神輿

長崎くんち御旅所
長崎くんちとキリシタンとの関係に注目した記事である。
長崎はかつてキリスト教の影響が非常に強かった町である。その町で、なぜ諏訪神社の祭礼が大規模に行われるようになったのか。
長崎くんちを単なる祭りとしてではなく、長崎の宗教史から考えてみた。
【記事はこちら】
https://artworks-inter.net/2013/10/06/post-786/
山伏VSキリスト教徒 長崎おくんち異聞
長崎くんちの歴史を考えるうえで、私が特に面白いと思っているテーマである。
江戸時代初期、長崎には修験者・青木賢清がやって来る。
つまり山伏である。
キリスト教の影響が強く残る長崎に、なぜ山伏がやって来て諏訪神社を再興したのか。
青木賢清、長崎奉行、長崎代官、キリシタン禁制などを追いながら、「長崎くんち誕生の裏側には何があったのか」を私なりに推理した記事である。
史料から確認できる歴史と、そこから私が組み立てた仮説を合わせた「長崎おくんち異聞」である。
【記事はこちら】
https://artworks-inter.net/ebook/?p=1556
対キリシタン 諏訪神社
長崎くんちを考えるなら、その舞台である諏訪神社を避けて通ることはできない。
諏訪神社には諏訪神、住吉神、森崎神が祀られている。
なぜ、この三柱なのか。
初代宮司・青木賢清や長崎奉行との関係などを追いながら、「なぜ長崎に諏訪神社が必要だったのか」を考えた記事である。
長崎くんち誕生の背景を考えるうえで、私の一連の記事の中心となる一本である。
【記事はこちら】
https://artworks-inter.net/2020/02/28/対キリシタン%E3%80%80諏訪神社/
おくんち 森崎神社はキリシタン鎮魂?
諏訪神社に祀られている三神の中でも、特に私が気になったのが「森崎神」である。
森崎とは何なのか。なぜ諏訪神、住吉神とともに祀られているのか。
森崎という土地とキリシタンとの関係などを追いながら、「森崎神社には別の意味があったのではないか」と考察した記事である。
歴史には史料だけでは分からない部分がある。そこに残された地名や伝承を重ね合わせて考えてみるのも、歴史探偵の面白さである。
【記事はこちら】
https://artworks-inter.net/2019/10/09/おくんち-諏訪神社の御神体の一つ%E3%80%80森崎神社の謎/
長崎くんちの舞台・諏訪神社

諏訪神社一の鳥居
諏訪神社
くんちの三日間、大勢の人で埋め尽くされる諏訪神社。
しかし祭りだけを見ていると、「そもそも、この神社はどんな神社なのか」という基本的なことを忘れてしまう。
諏訪神社そのものの歴史を知ってからくんちを見ると、祭りの景色も少し違って見えてくる。
【記事はこちら】
https://artworks-inter.net/2017/01/12/諏訪神社/
くんちは10月だけではない
長崎くんち稽古始め「小屋入り」
観光客にとって長崎くんちは10月7日から9日までの祭りかもしれない。
しかし長崎の人間にとって、くんちはもっと早くから始まっている。
6月1日の「小屋入り」である。
踊町の人々はここから本格的に稽古を始め、何か月もかけて10月の本番を迎える。
つまり、あの三日間の華やかな舞台の裏には、長い準備期間があるのである。
【記事はこちら】
https://artworks-inter.net/2016/06/03/post-1902/
コッコデショはどこから来たのか

おくんちコッコデショ
コッコデショは大阪・四国の檀尻が起源
長崎くんちを代表する演し物の一つが「コッコデショ」である。
巨大な太鼓山を男たちが担ぎ、掛け声とともに宙へ放り上げる。
いかにも長崎独特の演し物に見える。
しかし、そのルーツをたどってみると、大阪や四国などの檀尻文化とのつながりが見えてくる。
長崎は外から入ってきた文化を、そのまま真似する町ではない。
取り込んで、混ぜて、いつの間にか「長崎のもの」にしてしまう。
コッコデショも、その一例なのかもしれない。
【記事はこちら】
https://artworks-inter.net/2018/09/08/コッコデショは大阪・四国の檀尻が起源/
哺乳瓶と点滴とコッコデショ
2018年のおくんちを実際に歩いて撮影した記録である。
コッコデショや庭先回りなど、歴史資料だけでは伝わらない祭り当日の空気を写真とともに残した。
少々妙なタイトルだが、それも含めて、その年、その日の私自身の「おくんち」の記録である。
【記事はこちら】
https://artworks-inter.net/2018/10/10/哺乳瓶と点滴とコッコデショ/
写真で振り返る長崎くんち
2015長崎くんち
2015年の長崎くんちを写真とともに振り返った記事である。
奉納踊、龍踊、庭先回りなど、その年の祭りの姿を記録している。
毎年同じように見える長崎くんちだが、踊町が変われば祭りの表情も変わる。
【記事はこちら】
https://artworks-inter.net/2015/11/24/2015長崎くんち/
2015おくんち点景
こちらも2015年の長崎くんちを撮影した記録である。
演し物だけではなく、祭りの日の町や人々の表情などを「点景」として残した。
撮影したときには単なるスナップ写真だったものでも、10年、20年と時間がたてば、それ自体が長崎の記録になっていく。
【記事はこちら】
https://artworks-inter.net/2015/10/18/2015おくんち点景/
私が撮り続けた長崎くんち――2002〜2018

おくんち
私は長年、カメラを持って長崎くんちを撮影してきた。
歴史を文章で調べることも面白いが、写真には写真にしか残せない歴史がある。
演し物だけではない。観客の服装、沿道の店、建物、看板、子供たちの姿。撮影した当時には何でもなかったものが、20年後に見ると立派な「時代の記録」になっている。
なお、ここで紹介している写真は、すべて私自身が撮影したもので、版権フリー写真として公開している。
個人のブログやホームページ、学校教材など、私への特別な許可を取る必要はなく、自由に利用していただいて構わない。長崎くんちを紹介したり、長崎の歴史や文化を伝えたりするために役立ててもらえればうれしい。
写真の著作権については利用許諾不要である。ただし、写真に写っている人物の肖像権や施設・作品など、被写体に関する権利については、利用者自身の責任で配慮していただきたい。
写真は保存しておくだけでも記録になるが、多くの人に使われることで、さらに次の時代へ受け継がれていく資料にもなる。
ここからは、私自身が撮影してきた長崎くんちの写真を年代順に紹介する。
2002年おくんち
今から20年以上前の長崎くんちである。
蛇踊りをはじめ、庭先回り、川船、本踊り、御旅所など、当時の祭りの姿を記録している。
現在のくんちと見比べてみると、演し物だけではなく、町や人々の姿にも時代の変化が見えてくる。
【写真を見る】
https://freephoto.artworks-inter.net/2002okunchi
2006年おくんち
2006年のおくんち。
庭先回りなど、演し物が長崎の町を回っていく姿を撮影している。
くんちは諏訪神社の中だけで行われる祭りではない。
町中を舞台にしているからこそ「長崎の祭り」なのである。
【写真を見る】
https://freephoto.artworks-inter.net/2006okunchi
2009年おくんち
蛇踊り、御旅所、庭先回り、川船、本踊り、鯨の潮吹きなどを撮影した。
龍、船、鯨――。
こうして並べてみると、長崎くんちには「海」を感じさせる演し物が実に多い。
港町・長崎の歴史が、そのまま祭りの中に入り込んでいるようでもある。
【写真を見る】
https://freephoto.artworks-inter.net/2009okunchi
2015年おくんち
2015年のおくんちを写真で記録したページである。
その年、その時、その場所でしか撮れない祭りの表情を残している。
【写真を見る】
https://freephoto.artworks-inter.net/2015okunchi
2017年おくんち
2017年には竜宮船、オランダ船、御旅所などを撮影した。
ここに長崎くんちの面白さがよく表れている。
日本の神社の祭りなのに「竜宮船」があり、「オランダ船」がある。
中国文化も西洋文化も日本文化も一緒になってしまう。
普通なら文化の混乱である。
長崎では、それを「伝統」と呼ぶ。
【写真を見る】
https://freephoto.artworks-inter.net/2017okunchi
2018年おくんち
2018年にはコッコデショなどを撮影した。
歴史や起源について考えた「コッコデショは大阪・四国の檀尻が起源」の記事と写真を一緒に見ると、また違った面白さがある。
【写真を見る】
https://freephoto.artworks-inter.net/2018okunchi
「くんち」は諏訪神社だけではない
田上 稲荷神社
長崎で「くんち」といえば、ほとんどの人が諏訪神社の長崎くんちを思い浮かべる。
しかし「くんち」という言葉は、諏訪神社だけのものではない。
田上稲荷神社にも「田上くんち」があり、奉納踊や奉納相撲などが行われてきた。
では、そもそも「くんち」とは何なのか。
そんな疑問を持って読むと面白い記事である。
【記事はこちら】
https://artworks-inter.net/2021/05/23/田上-稲荷神社/
長崎の祭りをもっと広く考える
ヘトマトの謎―7 ついに謎は解かれた
五島の奇祭「ヘトマト」の謎を追った記事だが、その中で長崎のおくんちとも比較している。
一見まったく違う祭りでも、「祭りはどのように生まれ、土地の歴史や信仰と結びついていったのか」という視点で見ると共通点が見えてくる。
【記事はこちら】
https://artworks-inter.net/ebook/?p=225
補陀落渡海と精霊船
長崎の精霊流しを中心に、その背景にある信仰や歴史を考えた記事である。
精霊流しとおくんち。
まったく違う行事に見えるが、どちらも長崎という町の歴史を考える材料になる。
【記事はこちら】
https://artworks-inter.net/ebook/?p=3877
長崎くんちは「長崎そのもの」なのかもしれない
こうして過去の記事と写真を一か所に集めてみると、改めて不思議な祭りだと思う。
神社の祭りなのに龍が舞う。
オランダ船が走る。
鯨が潮を吹く。
太鼓山が空を飛ぶ。
その背後を調べれば、キリシタン、修験者、長崎奉行、中国文化、西洋文化、日本各地の祭礼文化まで出てくる。
これほど様々な文化が一つの祭りの中に同居しているところに、長崎くんちの大きな魅力があるのだろう。
しかし考えてみれば、それこそ長崎という町そのものではないだろうか。
長崎は昔から外の文化を受け入れてきた。
ただし、そのままでは受け入れない。
中国から来ても、ヨーロッパから来ても、日本各地から来ても、一度長崎という鍋の中に放り込み、ぐつぐつ煮込んでしまう。
そして出来上がったものを平然と、
「これは長崎のもんばい」
と言ってしまう。
長崎くんちも、そうやって出来上がった祭りなのかもしれない。
そして、もう一つ。
2002年に私が撮った写真は、すでに20年以上前の写真になった。
当時は「今年のおくんち」を撮っているつもりだった。
しかし今見ると、そこに写っているのは演し物だけではない。
20年以上前の長崎の町と、そこに暮らしていた人々である。
写真とは不思議なものである。
撮った瞬間は「現在」なのに、シャッターを切った瞬間から「歴史」になっていく。
今年も10月7日、8日、9日がやってくる。
長崎くんちを見に行く人は、ぜひカメラやスマートフォンを持って出かけてほしい。
龍やコッコデショだけではなく、沿道の人々や町の風景も撮っておくといい。
その何気ない一枚が、20年後には貴重な「長崎の歴史」になっているかもしれない。
長崎くんちは三日間で終わる。
しかし、記録された「おくんち」は終わらないのである。

長崎くんち

