対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

阿麻氐留(あまてる)神社

阿麻氐留(あまてる)神社

所在地:長崎県対馬市美津島町小船越字河岸川352番地

祭神:天日神命(あめのひのみたまのみこと/天照る神・照日の神)

対馬東岸の三池浦と西岸の浅茅湾を結ぶ地峡部。古代、小型船を陸揚げして山越えさせていた「小船越(こふなこし)」の交通・航路の要衝に、阿麻氐留神社は静かに鎮座している。

由緒・格式

平安時代の『延喜式神名帳』に対馬島下県郡の式内社として名を連ね、『日本三代実録』貞観12年(870年)条には従五位下の神階を授けられた旨が記されている古社である。

中世以降は神仏習合が進み、貞享3年(1686年)の『神社誌』によれば「三所権現(阿弥陀三尊)」を祀り、その中心は「照日権現」と称されていた。朝日の光に感応して子を宿したという対馬独自の「天道童子信仰」との深い関わりも持っている。

また、『日本書紀』顕宗天皇3年条に記された「阿閉臣事代(あへの臣ことしろ)が神託を受け、対馬の日神を大和の磐余(いわれ)の地に勧請した」という説話との関連が古くから指摘されているほか、太陽を弓で射る大陸の射日神話を思わせる弓神事の伝承も残る。

 

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

私が対馬を訪れたかった理由の一つに、この阿麻氐留神社への参拝があった。

かつて耳にした「対馬こそが日本神道の源流・故郷である」という言説に、強く心を惹かれたからである。

しかし、史料や研究を紐解いていくと、どうやら単純にそうとは言えないことが見えてきた。

『先代旧事本紀』などの記録によれば、主祭神の天日神命(あめのひのみたまのみこと)は、古代の有力氏族「津島県主(つしまのあがたぬし)」の祖神と位置づけられている。皇祖神である伊勢の天照大御神(アマテラス)とは系譜上の位置づけが異なり、海人族が奉斎した独自の男神太陽神としての性格が強い。

そもそも古代の日本列島には、伊勢のアマテラスが中央政権の至上神として定着する以前から、各地に固有の太陽神信仰が存在していた。尾張氏や海部氏の祖神とされる「天照国照彦天火明命(アメノホアカリ)」のように、「アマテル」の名を冠する男神の系譜があり、天日神命もそうした海洋民の太陽信仰に連なる存在とみるのが自然である。たしかに「お天道様」への畏敬は、列島各地の基層にあった普遍的な自然信仰であろう。

以前、京都を訪れた際に参拝した「木嶋坐天照御魂神社(通称:蚕ノ社)」のことが思い起こされる。

木嶋坐天照御魂神社(通称:蚕ノ社)の三柱鳥居

木嶋坐天照御魂神社(通称:蚕ノ社)の三柱鳥居

あちらも社名に「天照御魂」を冠し、境内の「元糺の池」には三つの鳥居を三角形に組んだ全国的にも珍しい「三柱鳥居」が立つ。対馬の和多都美神社にも同様の三柱鳥居が存在することから、太秦を本拠とした渡来系氏族・秦氏と対馬のつながりを想像したこともあった。しかし公的な史料を見る限り、古代対馬に秦氏が定着していた痕跡は見当たらない。

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

阿麻氐留神社に祀られているのは、アマテラスとは異なる男神の太陽神である。

「神道の元祖」という世の俗説やロマンから離れて立つ阿麻氐留神社は、穏やかな入江を臨む、こぢんまりとした佇まいの社であった。

金毘羅神のように、荒海を生きる海洋民たちが航海の指標とし、日々の平穏を祈り続けた太陽神の原像が、いまもこの港の風景の中に静かに息づいているのではないか――社頭に立ち、そのような感慨を抱いた。

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

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対馬市 阿麻氐留(あまてる)神社

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