対馬 海神神社

古代祭祀から中世八幡宮、現在の姿まで

長崎県対馬市峰町木坂(きさか)に鎮座する海神神社(かいじんじんじゃ)。
海神神社

海神神社

海神神社

海神神社

海神神社 案内板

海神神社 案内板

 
この場所を訪れたのは2020年6月23日。この神社はかなり重要な場所だ。
 
海神神社(かいじんじんじゃ)と書いてワタツミ神社という。対馬にはワタツミという神社が3つある。その中で朝鮮半島の海岸に面していて、海神という漢字が使われている。それだけでもこの神社の持つ役割が伝わってくる。
 
町ふるさと宝物館収蔵庫

町ふるさと宝物館収蔵庫

鳥居をくぐると左手に町ふるさと宝物館がある。

もともと海神神社には弥生時代の青銅器、統一新羅時代の仏像、中世の仮面や鏡など、離島の神社としては破格の文化財が伝来していました。これらを防火・防犯・温湿度管理の整った環境で保存・公開するため、旧峰町時代の1997年(平成9年)に鉄筋コンクリート造の堅牢な収蔵・展示施設として新築・整備されました。

この宝物館を語る上で欠かせないのが、2012年に発生した文化財盗難事件だ。

事件の経緯(事実): 2012年(平成24年)10月8日、韓国人窃盗団によってこの「峰町ふるさと宝物館」の施錠が破壊され、収蔵されていた国の重要文化財「銅造如来立像」が盗難に遭いました(同時に豊玉町・観音寺の観世音菩薩坐像等も盗難)。盗難仏は韓国国内で回収され、2015年7月に日本へ返還されました。

 
一ノ鳥居をくぐり、石段へ向かう参道の左手に鎮座する祭魂社(さいこんしゃ)。地域の祖霊や祭祀に関わる霊を祀る。
 
海神神社 祭魂社(さいこんしゃ)

海神神社 祭魂社(さいこんしゃ)

 
海神神社手水舎

海神神社手水舎

 
海神神社

海神神社

海神神社の二ノ鳥居

海神神社の二ノ鳥居

海神神社

海神神社

深い原生林に囲まれた急勾配の石段を登ると、山肌に威厳ある社殿が現れる。

海神神社

海神神社

祭神と社伝

現在の主祭神は、海の女神である豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)である。
  • 主祭神:豊玉姫命
  • 配祀神:彦火火出見命、鵜茅草葺不合命、宗像神、道主貴神
神社の由緒書では、日本神話の「海幸山幸」の舞台と結びつけて語られている。山幸彦と結ばれた豊玉姫が産屋を建てた場所が木坂であり、神功皇后が三韓征伐の帰途に旗八流を納めて神々を祀ったのが神社の始まり(白鳳時代の創建)と伝わる。
ただし、これらの伝承は中世以降に八幡信仰が浸透する中で整えられた由緒であり、歴史的事実としての創建年代を示す確証はない。
 
海神神社 拝殿

海神神社 拝殿

海神神社 拝殿

海神神社 拝殿

拝殿

拝殿

正面に建つ大型の木造建築(昭和3年改築)。壁のない開放的な吹き放ちの広間構造になっており、国選択無形民俗文化財の神楽舞「命婦の舞」が奉納される舞台でもある。

海神神社

海神神社

海神神社 幣殿・本殿

海神神社 幣殿・本殿

拝殿の後方に接続する。本殿は明治32年(1899年)に国幣中社として本格造営された流造(ながれづくり)の社殿。主祭神の豊玉姫命をはじめとする神々が祀られている。

海神神社 摂社・末社十七座

海神神社 摂社・末社十七座

摂社・末社十七座」が伝えられており、現在も本殿・拝殿に向かって右手(東側)の山裾に5つの石祠・木造小祠が横一列に並んで鎮座している。

行先殿(ゆきさきどの)、濱殿御子神(はまどのみこがみ)、乳母神(うばがみ)、一宮神(いちのみやのかみ)、白鬚神(しらひげのかみ)、御先駈神(みさきがけのかみ)、飛崎神(とびさきのかみ)、若宮神(わかみやのかみ)、瓊宮神(たまのみやのかみ)、五王神(ごおうのかみ/または五三神)、新霊神(しんれいのかみ)、金倉神(かなくらのかみ)、貴船神(きふねのかみ)、今宮神(いまみやのかみ)、寶満神(ほうまんのかみ)、濱殿神(はまどのかみ)、左廳神(さちょうのかみ)、美女神(びじょのかみ)、天道神(てんどうしん)。

社名と祭神の変遷

江戸時代以前、この社は「木坂八幡宮」と呼ばれ、八幡神(応神天皇・神功皇后など)を祀る社寺として機能していた。現在の社名や祭神は、明治初期の政策によって定められたものである。
  1. 中世〜江戸時代:武家の守護神である「八幡神」を祀る社寺として島内屈指の崇敬を集める。
  2. 明治3年(1870年):『延喜式』神名帳の記載に合わせ、いったん「和多都美神社」に改称。
  3. 明治4年(1871年):国幣中社への列格に伴い、祭神を八幡神から「豊玉姫命」に変更。さらに仁位の和多都美神社との混同を避けるなどの理由から、社名を「海神神社」へ改称。

社殿の造営年代

現在の堂々たる社殿群は、明治後期から昭和初期にかけて整えられた。
  • 本殿:明治32年(1899年)建立。国幣中社にふさわしい格式の建物として造営。
  • 拝殿・境内:昭和3年(1928年)頃に改築・整備。
対馬は朝鮮海峡を望む国防・海上交通の要衝であったため、近代に入ると国境を守る海の総鎮守として重視され、離島の集落としては異例な規模の社殿が整備された。
 

神仏習合の痕跡

現在の境内は純神道風のたたずまいだが、明治以前の約600年間、木坂八幡宮は寺院と一体化した神仏習合の拠点であった。

 

  • 別当寺の存在:境内には寺院(別当寺)が置かれ、社僧が神前で読経を行っていた。
  • 統一新羅の金銅仏:8世紀朝鮮半島製の「銅造如来立像」(国指定重要文化財)が社宝として伝来。仏教信仰と深く結びついていた確たる物証である。
  • 明治の神仏分離:明治初期の廃仏毀釈により仏教施設は撤去され、現在の神道一本の形に改められた。

弥生時代からの祭祀遺跡

社殿や組織としての確立は中世以降だが、聖地としての起源は弥生時代まで遡る。

 

  • 神体山「伊豆山」:社殿背後の伊豆山は古くからの神体山(禁足地)であり、暖帯照葉樹原生林(県指定天然記念物)が今も残る。
  • 広形銅矛の出土:周辺の遺跡や神社伝来品からは、弥生時代後期の祭祀用青銅器である広形銅矛が確認されている。
危険な海へ乗り出す古代の海人集団が、航海安全を祈願して聖なる山に祈りを捧げた場所が木坂の原点である。

 

歴史年表

原初の自然祭祀
弥生時代〜
伊豆山を神体として崇拝。航海安全を祈願して広形銅矛などの青銅器が奉納される。
 
八幡宮としての確立
1267年(文永4年)
古文書に「八幡本宮」の記録。元寇前後の緊張下で武神・国家鎮護の社寺として再編される。
 
対馬藩による保護
江戸時代
木坂八幡宮として藩主宗氏の庇護を受け、社僧と神職が共存する神仏習合の社寺として栄える。
 
海神神社への改称
明治時代初期
神仏分離により仏教要素を撤去。国幣中社に列格し、祭神を豊玉姫命へ、社名を海神神社へ改称。
 
現社殿の造営
1899年〜1928年
明治32年に現在の本殿を建立。昭和初期にかけて拝殿や石段が整備され、現在の景観が完成する。
 

古代国家の海上ネットワークとしての海神神社

海神神社が伝える豊玉姫や神功皇后の物語には、後世に付加された脚色が含まれる。しかし、その背後にある歴史の実態は極めて重い。

 

「ワタツミ」という社名が示す通り、この社は単なる離島の孤立した土着神社ではない。玄界灘・朝鮮海峡という古代の最重要航路を掌握した海人集団(阿曇氏など)とヤマト王権が、命がけの航海安全と国境防衛のために配置した「古代海洋神社ネットワーク(グループ)」の中核拠点であった。

 

弥生時代の青銅器(広形銅矛)を捧げた自然祭祀から始まり、海人たちのネットワーク拠点、中世の元寇を契機とする「木坂八幡宮」への変容、そして近代の国幣中社としての威容まで——。

 

山麓に広がる手つかずの原生林と重厚な社殿は、時代ごとに姿を変えながら日本の海の境界を守り続けてきた、重層的な歴史の証人である。
 
海神神社 立札

海神神社 立札

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